頻発するクマ被害 ~野生動物とどう向き合うか

★投稿修正★ 2025年12月1日 by a-NEN




 クマとの向き合い方を通して、野生動物との共生について考えたいと思います。

 現在、クマの出没,被害が頻発しています。残念ながら、ケガ人だけではなく、痛ましい死亡事故も後を絶ちません。
 “クマとどのように共存していくのか。私たちはどうすればよいのか。”
私たちに突きつけられた、とても難しい課題です。正直なところ、私の今の答えも、確信的ではありません。

 私は、最近になって認識したので、恥ずかしいばかりですが…
実は、2000年代初めから、もうすでにクマが人里に出没することが常態化していたようで、人身事故も増加の一途を辿っているようです。死亡事故も全国で年に数件はあったものの、今年のような異常な件数は初めてです。(今年の死亡者は11月3日現在で13名)
 深刻なのは、クマが山から下りてきているのが偶然ではなく、意図的だということです。市街地に出没するいわゆるアーバンベア(都市型クマ)は、市街地も自分の生活圏と認識しており、人を恐れることなく堂々と現れます。

 クマが他の野生動物と一線を画すのは、殺傷能力が高い危険な動物だということです。イノシシやシカ,サルからの攻撃も危険ではありますが、鋭いカギ爪と凄まじい力とを持つクマの危険性は桁違いといえます。丸腰の人が、接近するクマと戦っても勝ち目はありませんし、時速40~50キロで走ることもできるため走って逃げることもできません。そして、食糧の内容変化も気になります。元々、植物が主食であるところ、最近では、シカなどを食べる中で肉食化傾向にあると推測されており、今後、人も食糧だと認識していくクマが増える危険性もはらんでいます。
 積極的に手を打たないと、クマの出没や事故は年々悪化してくことが推測できます。


 色々と調べると、クマに先駆け、1980年代にはイノシシとサル、1990年代にはシカと、全国各地の中山間地域,農村部で野生動物による農作物被害や列車や車との衝突事故が発生するようになっており、その後、増加。該当地域では、すでに大きな社会問題となっているようです。今まで何となくの認識しかなく、恥ずかしいばかりです[汗]
 クマが2000年代からいきなり出没したのではなく、他の動物を含め、段階を経てきていることが分かります。クマが、人里に現れる今の状況は予測できたことかもしれません。

 野生動物との共生の難しさは、人と動物との利害が対立する部分です。
 どちらも生きるために必死なので、接近すると人は死傷、動物は捕獲や射殺となります。また、農作物では、人からすれば被害ですが、動物からすれば食糧です。
 そこで議論の焦点となるのは、生活圏をどう据えるかです。これまで、市街地や中山間地域も、人が定住したために人の生活圏になっている訳です。しかし、そもそも、人が定住する以前は、野生動物の生活圏でもあった訳で、日本においては動物の方が先に暮らしていた可能性すらあります。人の生活圏に侵入することは、人からするとけしからんことなのですが、動物側の立場からすると、環境が整えば、繁殖し、生息域を拡げることは自然なことです。人里への侵入なのか、かつて失った土地を取り戻しているのか…
 また、話し合いや交渉ができないことも、野生動物との共生の難しさの一つです。(話し合い可能な人間同士で、話し合いが実らず、醜い争いが続いているという皮肉もありますが...) 動物側から先に歩み寄ってくれることはないので、人の方から働きかけを行なっていく必要があります。

 共生に向けた具体的な行動の前に、私たち人間が犯してきた過ちも含め、野生動物がなぜ人里に下りてくるのかを整理します。


個体数の増加  
 天敵であったオオカミが絶滅したこと、長らく狩猟がされていないこと(2000年以降はクマの捕獲を抑制)もあり、どうやらクマが増え過ぎているようです。オオカミがいなくなったことは、クマのみならず、シカ、イノシシ、サルの増加も招いています。しかも、これらの動物全てが、山を下り、人とのトラブルを抱えています。また、クマが食糧としだしたシカの増加が、クマの増加を加速させているという仮説もあります。
ご存知の通り、シカの増加も深刻な問題で、農作物を食い荒らすだけではなく、草木が食い尽くされることで、植物や昆虫を含む生態系のバランスも崩れ、山の荒廃も進んでいます。  

 仲間の数が増えたので、今まで足を運んでいなかった場所にまで食糧を探しに行ったり、暮らす場所を拡げたりすることが必要なのです。もちろん、山を下りたりもします。


生息域の減少
 森林開発により、野生動物の生息域が減少しています。
 このあたりもメディアではあまり取りあげられませんが、これまでの林道や高速道路などの開発に加えて、最近では、尾根筋風力発電や大型太陽光発電施設の建設が相次ぎ、各地で大規模な森林伐採が行われています。再生可能エネルギーの開発地エリアと動物が山から下りてきているエリアとが重なっているという指摘もあります。皮肉にも、環境に負荷をかけないための再生可能エネルギー施策が、動物の住処や食糧を奪っている可能性があるのです。
 また、私は、森林を伐採して農薬を散布するゴルフ場開発も悪影響の一つだと考えています。日本のゴルフ場総面積は約2,700km2 。佐賀県より少し大きいぐらいあります。日本の総面積が約37万8,000 km2で、その0.7%をゴルフ場が占めているわけです。面積の小さな日本で、ゴルフ場の数が世界で2位か3位とされている訳ですから、少し多過ぎはしないでしょうか。ゴルフ愛好家が悪いというよりも、開発するクラブ側の問題が大きいとの認識ではありますが…

 今まで暮らせていた場所も暮らせなくなり、暮らせる場所が狭くなりました。食べ物も減っています。新たな生活場所、エサ場を探す必要があります。山を下りたりすることもせざるを得ません。


山での食糧不足
 食糧不足でまず取り上げられるのが、地球温暖化による異常気象です。温暖化により、ブナ科の樹木を枯らすカシノナガキクイムシの分布が拡大し、ナラ枯れが起きています。クマの主食でもあるブナやミズナラの実が不作になると、食糧を探し、生活圏を拡げた結果、山も下ります。確かに、温暖化も原因の一つではありますが、ただ、食糧不足の原因は、地球温暖化によるものだけではありません。
 大手メディアなどではほとんど取り上げられることはありませんが、上の項の生息域の減少に加え、戦後、政府主導で実施された人工林開発の悪影響も存在します。戦後、家を建て直すために大量の木材を必要としました。1950年(昭和25年)に「造林臨時措置法」が制定され、特に成長が早く、建築材として期待されたスギやヒノキなどの針葉樹の植林が進められました。木炭や薪が中心だった家庭燃料が、電気,ガス,石油へとシフトしたことで薪の材料として利用されていた広葉樹の価値が下落。これらの影響で、元々、天然林の8割程を占めていた、多様な果実が生る広葉樹は多くが伐採され、減少しました。人工林の7割が、スギ(約45%)とヒノキ(約25%)で、現在では、森林全体における広葉樹と針葉樹との割合は半分ずつだとされています。
 そして、追い打ちをかけたのが、林業の衰退と人工林の荒廃です。盛んな1955年頃には、約52万人が林業に就いていましたが、建築需要に対応するために、安価な外国木材が大量に輸入され始めると、国産の木材は値段が下落、林業をやめる人が急増しました。その結果、間伐されなくなった多くの針葉樹の下は日が当たらず、下草も消失、昆虫も激減、森が豊かさを失いました。
 また、ナラ枯れの原因であるカシノナガキクイムシの増加は、人が作り出したコナラの森が放置されたことも原因のようです。
 地球温暖化、森林開発により崩れた生態系,山の荒廃などで、生息域も食糧も減少しています。食糧が乏しくなった野生動物は、食糧を求めて生活圏を拡げ、やがて里へ下りることになります。
 人工林開発を進めた当時の事情もあったでしょうから、当時の官僚や政治家を批判するつもりはありませんが、結果としては失策です。広葉樹の生育バランスを崩し、豊かな森を失ってしまったツケを今後どのようにして払っていくのかも問われているのです。

 なぜか、年々、食べ物が減っています。食べ物を探す必要があり、今まで足を運んでいなかった場所まで行きます。山を下りたりもします。



中山間地域.里山の衰退に伴う人慣れ
 古来より、山の木々は燃料であり、建築材でもありました。農業や林業により、かつての中山間地域や里山には活気がありました。また、野生動物は食糧でもあったため、農作業がない時期には狩猟も行なっていました。狩猟や鎖に繋がれていない犬、若者も多くいたため、野生動物は人を恐れ、うかうかと人里に入れない環境がありました。クマにも個性があるようですが、従来、ほとんどのクマは、人や犬を恐れていたようです。
 エネルギー革命後より、状況が変化し始めます。まず、木材が燃料としての価値を失います。そして、海外の建築材に押され、林業が衰退。農業も機械化などで仕事がなくなり、人口が市街地や都市部に流出していきました。山離れが進んだことで、中山間地域,里山は過疎化、高齢化が進み、現在の衰退した状態に至ります。 
 これらの地域では、野生動物を誘引させる放置された果樹,耕作放棄地が多数存在しており、動物にとっての新たな生息域になっている状態だと考えられます。そして、野生動物を追い払うモノがいなくなり、人の方が逃げるモノだと認識された結果、人や人里が動物たちにとって怖いモノではなくなってしまいました。人がいても大丈夫だと学習すると、堂々と現れるようになります。
 “人は、野生動物に敗れつつある”と 以前より警鐘を鳴らしていた学者たちもいたようで、まさに、クマだけではなく、様々な野生動物の生活圏が、人の生活圏側に移動してしまっています。
 人や人里を恐れず、慣れてしまった野生動物とどう向き合うかは、新たな課題です。

 今までは山の中だけで暮らしていましたが、山を下るとそこには食べ物が多くありました。何か(人が)いますが、私たちに危害を加えることはないので安心です。魅力的な場所なので、これからも食べるために山を下ります


人の食べ物の味を覚えてしまった
 クマや他の野生動物が人里に下りてくる最大の理由は、人里に食べ物があり、それを食糧だと認識しているからだと考えます。つまり、人里を絶好のエサ場として認識しているということです。
 人や人里を警戒していた初期段階では、明け方か夕方にコソコソ現れて食べていたと考えられます。人里に現れた動物を微笑ましく見守ったり、サルに餌を与えたり、サル用の果樹を植えたりなどの誤った対応もあったようです。そういった対応が、結果として、動物に隙を見せてしまった形になっています。観光用に設けられた野猿公苑の閉鎖後の弊害が全てを物語っています。人慣れしたサルはカバンに食べ物があること、威嚇や攻撃をするとカバンを落とすことを学習しており、野生に戻っても人を襲うのです。
 野生動物が、果樹や農作物を食糧だと認識するようになると、それを日常的に食べるようになります。人が育てている果樹や農作物は、美味しくて栄養価が高いため、中毒性もあるようです。そうなると人の食べ物への執着もかなり強くなるでしょう。
 ちなみに、クマが冬眠をするきっかけは、寒くなることではなく、エサがなくなることだそうです。人里で年中、食糧にありつくことができれば、冬眠しないクマも出てくるかもしれません。クマの寿命は、15~20年ですが、栄養価の高い、人の食べ物で育つと体も大きくなり、寿命も長くなる可能性が高いようです。

 山を下りた所にある食べ物は、栄養もあり美味しくて止められません。この食べ物は私たちのものです。何か(人)がいて、時々騒いでいますが、よく分かりません。私たちの邪魔をするなら追い払う必要もあるでしょう。

 以上からして、クマやその他の野生動物は、山を下りるべくして下りてきているといえます。




 まず、野生動物との共生とは、どのような状態像を指すのか。私なりにポイントをまとめました。

●基本的な考え方
 ①判断基準は、野生動物の行動がもたらした結果が侵略的(人を脅かす)かどうか!! 
  侵略的であれば、毅然とした対応をする。侵略的でなければ、保護や見守りを行なう。
 ②動植物の個体数は、完全にはコントロールできないことを肝に銘じる。関与は最小限に留め、極力、手を加えないようにする。(特定の動植物を駆除または保護すると、別の動植物の個体数にも影響を及ぼす)
 ③人の生活は、動植物なしでは成り立たないことを肝に銘じ、敬意払う。

●生活圏の考え方
 そもそも、人と野生動物とが生活圏を共有することができるのかということです。
 私の考えは、“重なる部分は少しあっても、共有はできない”です。なぜなら、動物とは話し合いができませんし、動物が人に配慮してくれることもないからです。人の死傷、農作物被害などを避けるためには、生活圏を共有することはできません。さらに、動物から新たな伝染病を持ち込まれる危険性もあります。人である以上、人側の一定の犠牲もやむを得ないとすることはできません。 
 緊張感を持った、はっきりとした境界線がどこかに必要です。人との緊張関係や境界線がなければ、人が押し込まれ、今のように侵食されてしまいます。
 さらに、人から、行動を通して、「人の生活圏に入ることは絶対に許さない」という、はっきりとしたメッセージを送る必要があります。
 共有できないとなると、動物を人の生活圏から追い出すか、人が生活圏から撤退するかのどちらかしかありません。動物側からすると、今までは山中だけだった生息域を平野部まで拡大したに過ぎないということですから、仮に人が撤退するにしても、しっかりとした緩衝帯を設けないと、単に人の生活圏が後退するだけに終わります。どこかで食い止めないと、やがて都市部にまで進出してくることになるでしょう。
 動物との近距離のふれあいは、ペットや動物園の世界だけに留めるべきです。野生動物への真の優しさ,いたわりとは、人と適切な距離を置くこと、人が関わり過ぎないことだと考えます。野生動物は、時々、遠くで見かける程度にして…
 野生動物と適切な距離を置く、距離を保つことができてこそ、共生ができるのだと考えます。人と野生動物の生活圏が重ならないようにするには、不断の努力が必要ということが、現状から学べたことの一つなのではないでしょうか。

●駆除の考え方
 駆除とは、捕獲して山に返す場合もあるでしょうが、多くの場合は殺処分を指します。   
「殺めるのはかわいそう」という声もあります。動物愛護という視点もとても大事ですし、保護するという意見も尊重するべきだと思います。私もむやみに殺めることには反対です。  
 しかし、保護するだけで、うまくいくのでしょうか。
 保護だけではダメで、必要な駆除はすべきというのが、私の考えです。
 2023年11月に“野生生物と社会”学会という団体が発表した緊急声明の中に、「愛護だけでは、地域社会のみならずクマ類の個体群をも守ることができません」という一文があります。また、「クマは付き合い方を間違えれば人命を奪うこともあり、一定数の捕獲は欠かせない」とも述べており、賛同です。
 まず、人の食べ物をいったん覚えてしまうと、忘れさせることは困難で、やめられません。従って、今後もずっと人里に現れます。多くの哺乳類は、食べ物を生まれてから覚えます。母親から教わったものは、生活様式として定着するのです。この学習は、世代をまたがないようにすることが重要です。クマにおいては、記憶力が高く、以前に食べ物があった場所をしっかりと覚えています。また、箱罠や電気柵を避けて移動する姿も目撃される程の高い学習能力もあります。人の食べ物を覚えた動物は、緩やかな追い払いではうまくいかないため、駆除するしかありません。人を食べたクマなどはもっての外です。  
 話し合いができないので、行動で示すしかないのです。「人里は怖い、人里に行くと帰ってこられなくなる。」ということを認識させることが重要だと考えます。
 中には「人よりも野生動物の方が大事」という過激な動物愛護家もいるかもしれません。現に、クマを駆除すると、その自治体とハンターに対し、主に別の自治体の住人から抗議とクレームが寄せられることが常態化しているようです。また、ネット上では「部外者が勝手なこと言うな」、「だったらお前がクマを飼え」、「お前の知人がクマに殺されてもクレームしろ」などの意見も飛び交っており、混沌としています。
 愛護だけを訴える人は、被害と縁遠いところから眺めるだけで他人事としてしか考えていないように、私も思います。もし、自分や自分の大切な人が被害に遭ったり、遭いそうになったりしても同じような考えでいられるでしょうか。駆除以外の代替案はあるのでしょうか。誰か引き取る人がいるのでしょうか。動物園も現実的ではありません…
 被害を受けている地域住民にとっては災害に匹敵する程、深刻です。現に、人の命が失われ、安心できる生活が送れずに苦しんでいます。私たちは人である限り、まず、人の命や安全を守らなければならないのではないでしょうか。
 では、逆に、危険動物は絶滅させれば良いのでしょうか。もちろん、これは論外です。動物の命や自然への冒涜となりますし、人にそのような権限はありません。オオカミが絶滅してしまった末路からも分かるように、生態系も劇的に狂うことになり、誰にとっても不幸となります。
 動物の駆除も人のエゴです。駆除もやむを得ず行なう訳ですが、もちろん、精神的ダメージが伴います。このこころの痛みは、再び適切な距離感で共生していくための痛み。人を怖がり山に籠もってくれる野生動物を望むがゆえのものです。
 私は、駆除される=悪者ではない。駆除する=命の軽視ではないと考えています。
 少し視点を変えますが…
食糧用の家畜の屠殺は大丈夫で、野生動物の駆除や狩猟はかわいそうなのでしょうか。動物の駆除も食糧としての屠殺も、人の都合で殺めるものは全て、人のエゴです。
 私は、動物の死に真摯に向き合うこと重要であり、それが供養になると考えています。
・どうして、駆除されることになってしまったのか…
・次なる駆除を避けるために何かするべきか…
・野生動物や自然とどう向き合うのか…

 駆除を行なった自治体やハンターも、何も好んでしている訳ではありません。関係者へのクレームや中傷は、絶対に止めていただきたいと思います。





共生に向けての緊急的な対応

緊急的な駆除
 人の食べ物を口にした個体は、基本的には駆除。親子は駆除した方が良い。

個人の備え
 ・単独での行動は避ける。
 ・クマ撃退スプレーを持ち歩く。分厚い毛皮や脂肪層があるため、猟銃以外の武器は効かない。(エアガンは全く効かない)  クマ鈴の効果をあまり期待し過ぎない。(従来通りの臆病なクマには効果的だが、人馴れしたクマには通用しない可能性や逆に居場所を知らせてしまう危険性も考えられる)

危険動物との遭遇を減らす
 ドローンやAIなどの技術を活用し、危険動物の出没情報が住民に通知されるシステムを構築する。

人の食べ物を口にさせない対策(人の食べ物を食糧として依存させない)
 「人里には食べる物がない、あるが食べられない」ということを学習させることが必要。食糧となるものがないか、あっても口にすることができなければ、エサ場として認識されることがなくなる。今後、農作物や果樹などを食糧だと思わせる機会を作らない、食糧だと知っていても手が出せないようにすることが重要。ミカンが食べ物だと知っているサルは、あっという間に食べるが、食べ物だと認識していないサルは見向きもしない。
 ・畑などの防護。金網柵、電気柵、ステンレス線入りのネット、ワイヤーメッシュなどを設置する。★心理的障壁、物理的障壁 ※完全ではないため、人が追い払うまでの時間稼ぎと考える。
 ・農作物の適切な管理。(残渣、摘果後に地面に落とした果実の片付け)
 ・生活ゴミの管理、観光客などのゴミ捨てマナーを徹底。クマの臭覚は、犬の6倍、人の数百倍以上と言われており、少しでも匂いがするとやってきます。(漁られることがないようにする。空でいくと、カラスやトンビ対策も同じ)
 ・野生動物への餌付けの禁止。

人里に近づけさせない対策(人慣れさせない、人を恐れさせる)
 脅威を与え、「人里は怖くて危険な場所。近づかない方がよい」ということを学習させることが必要。
 ・人里に侵入する経路を特定し、金網柵、電気柵、ステンレス線入りのネット、ワイヤーメッシュなどを設置する。★心理的障壁、物理的障壁 ※完全ではないため、人が追い払うまでの時間稼ぎと考える。



共生に向けた中長期的な対応

人の食べ物を口にさせない対策(人の食べ物を食糧として依存させない)
 ・放棄された耕作地の整地、放棄された果樹の伐採。※人手の確保には工夫が必要。
 ・人家になる柿や栗の適切な管理。※どんな方法があるのか?
 
人里に近づけさせない対策(人慣れさせない、人を恐れさせる)
 ・藪などを払い見通しの良い場所(緩衝帯)を作る。★心理的障壁
 ・犬を連れて集落の外れまで追い払いを続ける。※人手の確保には工夫が必要。機械やAIも活用。野生動物の生息域を山へと後退させる。

地域住民へ過度な負担をかけない
 市町村職員だけでは解決できない。地元住民の普段の取り組みが左右するするため、住民と市町村とのコミュニケーションが重要。行政や専門家は、技術面、経済面、人材面で支援。

国策としての費用補助【予算確保】
 地元住民や市町村の経済的負担を軽減する。電気柵等の設備など対策関係の費用補助。

行政間の連携システムの構築
 国と都道府県、都道府県と市町村との連携。野生動物の保全と管理は都道府県となるが、都道府県単体では対応はできない。精通した専門職員の養成と配置、永続的な調査とモニタリング体制、縦割り行政解消(横断的チーム)、中長期の計画、ニーズにあった適切な事業、計画性のない人事の見直し(ノウハウの蓄積がない)など。
 ・個体数の把握
  個体の推定数の把握が必要。適正な数との見比べができなければ、捕殺すべき数が割り出せない。
 ・計画に基づいた個体数管理と駆除
  「個体数管理」「生息地管理」「被害管理」を一体的に管理するシステムの構築。
  駆除は慎重に。個体数の維持が必要な場合は、痛みを覚えさせて山へ返す。寿命が長い集団生活をする動物は、駆除によりコミュニティを変容させてしまうこともある。

中山間地域,里山,山の保全への対策
 ・野生動物の食糧がある山にしていく。
 ・中山間地域,里山を今後どうしていくのかの議論と対策。
  集落機能が低下し、存続も危ぶまれている中、市街地や都市部の住民がどのような協力をするのか。

猟師, ハンター、解体者の育成
育成には時間がかかるので、計画性が必要。

日本のジビエ文化の見直し
日本に合った食文化として見直す。焼却ではなく、命をいただく。


 大事なのは、野生動物や自然への畏怖の念です。“人も一動物に過ぎない”こともしっかりと認識していく必要があります。
 野生動物や自然との向き合い方には、様々な立場や意見があります。何をしても、何か不都合なことが出てくる、どれが最善なのかも分からないというのが実際のところだと思います。
 ただ、悩み、考え続けることにも意味があるのではないでしょうか。
 単純に、白黒をつけられない矛盾の中から得られる大切なものが… 




◆参考図書:室山泰之 著「サルはなぜ山を下りる?~野生動物との共生」 京都大学学術出版会2017年
◆参考図書:朝日新聞取材チーム 著「野生生物はやさしさだけで守れるか?」 岩波ジュニア新書2024年
◆参考図書:高槻成紀著「都市のくらしと野生動物の未来」 岩波ジュニア新書2023年


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