
★投稿修正★ 2025年3月3日 by a-NEN
「孤独から始めよう!」
また、変なこと言っているなぁ~と思わないで下さいネ。[笑]
“孤独から始める”とは、
“自分が孤独であるという事実をまず認めよう”ということです。(気づいていないフリをするのではなく..)
そして、安らかなこころと最強の生き方を手に入れようというものです。安らかなこころと孤独とは、一見すると対極にあるように思えるのですが、実は、密接なものだったようです。
さらに、なんと、ぼっち(一人ぼっち)こそが“最強”だったのです。
今回は、孤独とは何か、孤独の重要性、孤独のメリット、孤独と共に生きる方法について考えます。
ブッダの教え,仏教に、答えとも言えるようなヒントがありました。
まずは、「一人ぼっち」について考えます。
岩波書店の『広辞苑』(新村編,1998年,p2259)で調べると…
「一人ぼっち」とは、たったひとりでいること・孤独であることとあります。
人と馴染めず、一人でいることが多いという方もいるでしょう。友だちがいない、まわりに合わせられなかったり、変わり者扱いをされたりして、集団から浮いてしまったり…
中には、一人でいるのが好きで、一人になる時間を積極的に作っているという方もいるかもしれません。
私自身、こころ許せる友だちがあまりいないのもあるのですが…[汗] 一人でいることの方が多いです。(自分のこころや考えを整理するために、一人静かに過ごす時間を好んで作っているところもあります。)
一人ぼっちになると寂しさや不安が生まれますよネ。人は社会的な生き物だから、感じるのは当然なのかもしれません。また、一人ぼっちは良くない、かわいそうというイメージが強くなるのは、孤独を恐れている現れかもしれません。今、一人ぼっちで、「寂しい、不安だ」など苦しい思いをしている方もおられるでしょう。
はたして、
一人ぼっちは、悪いことなのでしょうか。
一人ぼっちは、かわいそうなのでしょうか。
私の答えは、NOです。悪いことでも、かわいそうでもない。
なぜなら、 “一人だけでいる” という一人ぼっちは、現象のことであって、そもそも私たちは、精神的には常に一人ぼっちだからです。
そして、 “一人ぼっちが、必ず辛いとも限らない”とも考えています。
一人ではなく、大勢の人や誰かと過ごしていても、孤独が辛いと感じることはあります。逆に、一人でいても、孤独を辛く感じないという人もいます。一人ぼっちが悪い、かわいそうとは限らない。 “孤独とは、私たち一人ひとりのこころの状態”のことだと考えます。
“人は、皆、孤独”という考えに、私は行き着きました。
私のまわりにも、気持ちが落ち込み、孤独を感じている方がいます。
例えば…
・自分だけがしんどい思いをしていると感じている。
・自分だけがうまくいかずに取り残されていると感じている。
・最愛の人やペットが亡くなり、寂しい。
・重い病気になり、辛い。
・年老いて、できないことが増え、絶望している。
・家族や友人の態度が冷たい、何もしてくれない、分かってくれない。
自分の辛さ、自分の寂しさ、自分の不幸を誰も分かってくれないと思い、孤独だと感じる。
そして、ずっと固執したり、悩み過ぎたりすると、こころを病んでしまいます。
それでは、
孤独そのものを避けることはできるのでしょうか。
孤独そのものを無くすことができるのでしょうか。
仏教では、孤独は避けて通れないとされており、私は納得です。
ブッダの教えに、 “独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)”というのがあります。「人は一人で生まれ一人で死ぬ。この世に来たときが一人なら、去るのも一人。(もちろん)生きている時も一人」という意味です。私たちは、誰もが、 “自分の行いが生み出した、自分だけの世界”を持ち、そこに“独りで住んでいる”ということ。
また、ブッダは、 “人生は連れのない一人旅”とも言われています。連れとは、心の連れのこと。「心の連れがいない」というのは、パートナー,親,子ども,友人など連れ添いがいたとしても“心の底から分かり合える人はいない”ということです。確かに、共感はしてもらえても、全く同じ気持ちにはなれませんし、本当のこころを分かってくれる人は誰もいません。
人との交わりがあるという意味では、一人きりで生きてはいないかもしれません。しかし、こころの世界では一人きりです。たとえ、パートナーや親、子ども、親友であってもこころの住む世界は別々。誰かに慰めてもらっても、群れて紛らわしても、和らぐのはその時だけ。自分の中にあるものなので、外からの埋め合わせだけでは和らがない。結局は、自分自身で折り合いをつけるしかないようです。これは紛れもない現実といえます。
「咳をしても一人」尾崎放哉 (俳人)

“表面的な関係性に囚われてはいけない”という教えが仏教にあります。孤独との関連が深そうな仏教の概念として、 “諸行無常”と“愛別離苦”というものがあります。※奥が深いので、詳しくはお調べ下さいネ。
“諸行無常”とは、「すべてのものは常に変化している」という意味。ブッダ自身も、悟りを開かれる前は、老病死を避ける方法がないかを考えていました。そして、若さの慢心,健康の慢心,生命への慢心というものに気づかれたのです。変化を恐れず、現実をありのままに受け入れよう。不変を求めることの虚しさに縛られず、自由になろうという教えです。
“愛別離苦”とは「愛するものとの別れが苦しい」という人間の苦しみの一つです。愛着や依存の対象がなくなることによって、虚しさや悲しみが生まれます。物事や他者に対する強い愛着や執着をうまく手放し、自由になろうという教えです。人生では、様々な連れ添いが登場しますが、皆、いつかどこかでお別れします。そして、最後は、自分もこの世を去ります。
裏返すと、皆いつか死ぬからこそ、相手の存在も普段共に過ごす時間もかけがえのないものだといえます。
「サヨナラから始めよう」というT-BOLANのステキな歌もありますネ。[古すぎて、歳がバレそうです.汗]
私だけが孤独なのではなく、誰もが孤独!
程度の差はあれ、誰もが自分と同じように、辛さ,寂しさ,不幸を感じて生きているのです。
孤独ではないという方は、孤独の辛さをさほど感じていないということ。孤独ではあるが、それを恐れずに受け入れ、自分の内に包み込んでいる状態。孤独であるという実態そのものは、存在しているのです。
「私は孤独だ」と潔く認めよう。そして、 “孤独と向き合おう”
「誰も私のことを見てくれない」「誰も私のことを理解してくれない」「誰も私のことを認めてくれない」
私の真の理解者は私だけ。私が私の理解者であれば、それだけでも十分なのではないかと思うのです。
自己肯定感とも関係しますが…
自分で自分を認めてあげるしかない。良いことも悪いことも、ありのままの私を感じて、受け入れる。
ありの~ままの~♪、姿見せるのよ~♪[汗]
こころの苦しみは、パートナー,親子,親友であっても、代わりに取ってあげることはできない。自分で乗り越えるしかないのです。孤独を遠ざけようとすればするほど、孤独に対する恐怖や不安が増すのではないか。孤独であることに目を背けたり、誤魔化したりすればするほど、余計に孤独になるのではないかと考えています。
はたして、
孤独とは、良くないものなのでしょうか。
仏教では、孤独を悪いものとしては捉えていません。逆にメリットがあり、生きる上で重要であると説いています。
孤独とは…
●苦しみの源ではない。真の苦しみは、孤独そのものではなく、孤独に対する我々の反応にある。
●自分を理解しようとした時、自分の内面と向き合うことができた時に感じるもので、自己理解の一歩である。
●心の平和を見つけるための貴重な機会である。
では、具体的なメリットを見てみましょう。
孤独のメリット
●ありのまま(本当)の自分を見つけ、自分自身を深く理解することができる
→外からの雑音がないため、自分自身を見つめることができる。自分の生き方も見つかりやすくなる。
●自尊心を持って、自律でき、どこにいても幸せを感じられる
→孤独の本質が理解できれば、精神的には自分自身で完結できる。ありのままの自分でいることができ、自分自身を誇らしい存在と認識できる。
●情に満ちた心(親切,やさしさ,あたたかさ)を育む貴重な機会となり、人や環境との向き合い方が良くなる
→孤独だからこそ、感謝の気持ちが生まれ、他人も自然も大事にできる。人間関係の改善もできる。

●頼られ、尊敬される
→精神的なタフさや安定感、忍耐力が備わるため、頼られ、尊敬される。聴き上手にもなりやすい。
●パフォーマンスが向上する
→①目の前のことに集中できるため、短時間で成果が出る。学びも素早く深くなり、能力も素早く高まる。外からの雑音があるとエネルギーが散漫になる。②アイデアと創造性が刺激される。思い浮かびは、一人の時が多い。
●心身を健康にする
→ありのままの自分でいられることができれば、心が落ち着き、穏やかになる。ストレスが減り、幸せを感じる。事実、自己受容ができると、ストレスホルモンであるコルチゾールを作らなくなり、幸福ホルモンであるドーパミンやセロトニンを作ることが明らかになっています。
コルチゾール
(腎臓の上にある)副腎皮質から分泌されるホルモンの一種で、私たちの健康に欠かせないホルモンです。その主な役割が、一時的なストレスから身を守り、体の正常な状態を維持することです。慢性的なストレスにより、コルチゾールが過剰に分泌され続けると免疫力が低下する、血圧,血糖値,コレステロール値が上昇する、脂肪がつきやすくなる、うつ病を発症しやすくなるなどのリスクが高まるとされています。
ドーパミン
脳から分泌される神経伝達物質で、喜びや快楽、やる気、集中力などを生みます。
セロトニン
脳から分泌される神経伝達物質で、喜びや快感に関係するドーパミンと不安や恐怖に影響するノルアドレナリンとをコントロールし、脳内の興奮を鎮めて精神を安定させる働きがあります。セロトニンの分泌が低下すると、こころの病になるリスクが高まります。
実は、孤独を受け入れることが、安らかなこころを生むのです。
そして、自己愛、自己肯定、自分らしさの発見、パフォーマンスの向上、心身の健康、人間関係の改善をもたらすのです。
孤独と共に生きよう!
そもそも、
孤独とは、寂しくて、辛いものなのでしょうか。
孤独と孤独感は別物であり、分けて考えることが必要です。孤独感とは、実際に存在するものではなく、現れては消えるというこころの状態のことです。
孤独は事実で、孤独感は幻想。
孤独を友にする方法
●瞑想をする
仏教では、瞑想が効果的であるとされています。(これは、今注目されているマインドフルネスとも関係しています)
①丁寧に呼吸をし、呼吸に意識を集中する。
生きるために必要な酸素が体に取り込まれ、体中を駆け巡っていることを感じる。酸素を自然からいただき、自然からの助けを受け取っていることを感じる。仏教の修行には、呼吸を止めるというものもあるそうです。
呼吸だけではなく、心臓の鼓動、流れる血液、胃腸の動き、体温(発汗)など自分の体の中で起こっている様々なことに意識を向けることができます。
②まわりの音や気配に意識を集中する。そこで感じるものを大切にする。
そして、私が重要だと考えているのが、自分の体の中にご先祖さまを感じ、感謝することです。私が決して独りではないことが実感できます。ご先祖さまは、自分の体の中にいる、温かみある最強の応援団なのです。霊的なものは差し引いたとしても、DNAという形で、私のために確実に存在されています。(数十世代遡るだけでも、ものすごい数のご先祖さま) 私まで命を繋いでくださり、そのバトンを受け継いでいる。私は、今の時代のプレイヤー代表!
私は、本当に困った時に、ご先祖さまに「力をお貸し下さい」とお願いすることもあります。すると、時々、信じられないような力が発揮できる時もあるのです。ご先祖さまとの夢のコラボ!? スポーツ選手で、「亡き祖父母(や親)のためにも頑張ります」と言って、普段以上の結果を出す人も確かにいますネ。一緒にプレイしているようにも見えます。パフォーマンスが上がるのなら、ご先祖さまを感じた方が有利のようですネ。ご先祖さまパワーを信じるか信じないかは、自分次第です!
雑念のない瞑想の中で、自分の思考や感情を静かに観察し、深く理解することが知恵と成長の源のようです。
●日々の生活から、様々なつながりと支えを感じる
日頃のどんな所作からも感じ取ることはできます。仏教でも、水汲みなどの所作も修行であると説いています。所作の中で瞑想に近いこともできます。
①食事
一番分かりやすいのが、生きる上で絶対に欠かせない食事でしょう。いただいく時に、食材である動植物が自分の体に取り込まれ、自分と一つになることを感じる。水も同じです。仏教の修行で、断食というのもあります。
食材を感じるだけではなく、食材を育ててくれたモノ(人や自然)を感じ、食事を作ってくれた人を感じる。
服を着る時、安心安全に過ごせる家を思う時、健康を考える時、お金を思う時など、そこに関わる全てのモノを感じることができます。
②自然と触れ合う中で
自然の中で、その美しさと静けさに心を開けると、自分は全てのものとつながっている、全ての生き物と支え合いながら生きていることを感じ取ることができる。
大元を辿れば、太陽(日光)、地球を作ってくれた宇宙に行き着きますネ。
③創造的な活動の中で
作品づくり、競技、仕事などで、自分のこころの世界を表現し、共感を生み出すこともできます。

様々なつながりや支えがなければ、私はとっくに死んでいるでしょう。
困っていなくても、いつも力を貸してくれているのです。いわば、アニメ「ドラゴンボール」の元気玉のようなものです。「オラに元気を分けてくれ!」
今の自分が存在するのは、全てのモノのお陰様。
私は、全てのモノとつながっていて、その支えのもと、生きさせていただいている。つながりや支えは、人だけに限りません。他の動物や植物、地球、宇宙⋯
つながりや支えは、自分で感じるもの。感じることができれば、決して、寂しくはないのです。辛さも和らぐのです。感謝の気持ちと共に..
避けられない孤独を、敵ではなく、成長のための友として受け入れましょう。孤独を敵だと捉えると、消耗戦に陥り、時間や健康が削られます。また、自分らしい生き方に専念できなくなります。
もう、お気づきかもしれませんが⋯
この孤独を友にする方法を実施するには、雑音がない一人きり、つまり一人ぼっちの時が一番適しているのです。
つまり、“ぼっち最強”ということです。
一人ぼっちになると、自分の本当の姿が浮き彫りになるので、怖くて、目を背けたくたくなるかもしれません。しかし、向き合ったその時に感じる気持ち(こころの動き)が、真の自分の気持ち。その振る舞いが真の自分の姿だと思います。自分自身に嘘はつけない。自分というモノをしっかりと持っている人は、逃げずにしっかりと向き合っているように感じます。
自分のためだけの時間をつくる。ある意味、贅沢な時間です。一人ぼっちの時間も、誰かと過ごす時間と同じように大事なのではないでしょうか。
ただし、まわりの人や社会との関係が絶たれた独りぼっちは、絶対にダメです。
人は社会的な動物であるため、社会との関係性がひどく絶たれると病気になります。そして、今、社会問題となっている“孤独死、孤立死”につながっていきます。関係が絶たれた独りぼっちは、 “不健全な孤独”です。
まわりの人や社会、自然、宇宙との絆をしっかりと持つこと。そして、時々、一人ぼっちになることです。この2つをバランスよく保ち、 “健全な孤独”を実現しましょう。
この“健全な孤独”は、できるだけ若いうちから馴染んでおく方がよいと考えています。しなやかなこころを持って、先の長い人生を過ごせるからです。こころは一人ぼっち、でも、だからこそまわりと共に支え合って生きることが大切だと。年老いてからでは、ストレス耐性の低下、変化に順応する柔軟性の乏しさ等により、孤独に馴染むのが難しいように感じます。こころの一人ぼっちが理解できずに、疲弊することは避けたいですネ。
私たちは、孤独だからこそ、独りでは生きていけないからこそ、様々なモノとつながること、支え合うことが大事なのです。
そこで、孤独を前向きに活用するための【孤独活用法】なるものを考えてみました。
『私は孤独だ。だから●●に対して(●●と一緒に)、●●する【行うこと】。そして●●になる。【結果の状態】』
『相手も孤独だ。だから●●に対して(●●と一緒に)、●●する【行うこと】。そして●●になる。【結果の状態】』
この●●の部分に入る言葉を考えます。単に行うことだけを当てはめるのではなく、「誰に対して」するのか、「誰と一緒に」するのか、そして結果どうなるのかという具体的なことまで考える所がポイントです。
ex)
①『私は孤独だ。だから、自分が困った時に、まわりに助けを求める。そして、困りごとが解決する。助けてくれた方に感謝する。』
②『相手も孤独だ。だから、相手が困っていそうであれば、声をかける。そして、少しでも相手の力になれれば嬉しい。』
そして、もちろん、考えたことを実行にうつします。

【孤独活用法~孤独から日々の言動を考える】をPDFデータで公開します。
ワークシート、思考例、説明資料はコチラです。
以下⬇️ をご覧いただき、ご活用下さい。
なお、公開しているデータは、全て、無断複製・無断使用することを認めております。
(※ただし、資料の加工についてはご遠慮下さい。)

孤独を認めた先に、本当の自分が輝き出します。孤独の中にこそ、自己発見と成長の機会があり、そして、こころの安らぎがあるのです。
『人生とは、自分自身との対話』『人生とは、自分を探して、自分を極める旅』『人生とは、あらゆるモノとの協働と共生』
ブッダは、自分に打ち克つことは、他人に勝つよりも何よりも優れていると説いています。
本当のこころも他人とは分かり合えないからこそ、分かろうとすることに意味があり、分かろうと骨を折ることが大事といえます。
孤独な時間は、必要であり、うまく活用した方が人生は充実します。

一人ぼっちが多い人は、プラスに捉えましょう。まわりとのつながりさえあれば、ぼっちは最強なのです。ぜひ、自分自身の中に真実と平和を見つけましょう。
一人ぼっちを恐れない。孤独を恐れない。
孤独は友、孤独は最高の師。
「さあ、孤独から始めてみませんか」


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