いつも何かの1年生

★投稿修正★ 2024年10月21日 by a-NEN




入学すれば、小学1年生。
後輩ができれば、先輩1年生。
運転免許を取れば、ドライバー1年生。
働き出せば、社会人1年生。
子どもが生まれたら、子育て1年生。進学ごとに、保護者1年生。
係長になれば、係長1年生。
病気になれば、患者1年生。
介護をし出せば、介護者1年生。
退職すれば、退職1年生…

 今、私は何の1年生だろう。

 目の前の人は何の1年生だろう。

 人生のほとんどの場面が初めてと言えるかもしれません。

是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。

 これは、能の大成者である世阿弥の言葉で私の好きなひとつです。

 「是非の初心忘るべからず」は、未熟な初心者だった時のことを忘れずに、基準と位置付けて向上を目指すということ。

 初めからうまくできる、うまくいくことはほとんどありません。
 初めは、知らなくて当然、うまくできなくて当然。
 誰もが、失敗をくぐり抜けて成長してきたことを考えると肩の力も抜けるのではないでしょうか。
 こころの健康を考えると、初めから完璧を求めない、自分だけでがんばらないという、しなやかな心構えも大切でしょう。
 初心者としてのかしこい選択は、他人の力を少し借り、学ばせていただくこと。
 教えを乞えば、ほとんどの人が快く応えてくれます。
 経験者のお手本を見る、聞く、本などを読む… 
 幸運にも、私たちは先人の遺産からも学べます。

はぢをすて、人に物とひ習ふべし、是ぞ上手の基なりける」 

 これは、茶人・千利休の考えです。

 謙虚に学ぼうとするかどうかで人生の景色も変わる。成長ができるというのなら、ちっぽけなプライドを少し捨て、教えを乞いたいところです。

 そして、もし、目の前にいる人が1年生だったら、不出来や失敗も少し大目にみて、温かく手をさしのべたい。
 なぜなら、私も1年生だった頃に、誰かにやさしく手をさしのべてもらったことがあるはずだから.. 
 今まで手をさしのべてもらったことがないという人は、ぜひ、あなたから、すてきなバトンをまわそう。

 以前、PTAでこんなことがありました。
 子どもの担任の先生は、若い新卒の先生でしたが、一生懸命でした。
 懇談の際に、ある保護者が先生に対し、心ない発言をしたのです。
 他のベテラン教師と比較し、その教師並みのパフォーマンスを求めるというものでした。
 要求する気持ちも分かりますが、要求の方法も含め、私は「あまりにも酷だ」と感じました。
 見かねた私は、委縮した先生を少しばかりフォローしました。
 この先の時代を担う若き先生を少し長い目で、温かい目で見守り、みんなで一緒に成長していくべきではないか…  
 初心者との関わりの中で、私たちも学べることがあるのではないか…

 自分が何かのベテランになったとしても、謙虚な気持ちで更なる高みを目指したいものです。

 「時々の初心忘るべからず」は、その年齢にふさわしい芸に挑むというもの。その段階においては初心者であり、謙虚に向き合うということ。

 「老後の初心忘るべからず」は、老年期になっても初心があるというもの。決して完成されたわけではなく、まだできることがあるといいます。

 この言葉のイメージと重なるのが、料理のだしです。
 隠し味を加えることで味は常に進化します。新しい味への追求には終わりがありません。
 だしのベースは、誰から教わったのか。鰹なのか昆布なのか。煮干し?、椎茸?、合わせ?、はたまた… 
 そこに、自分のアレンジを加え続けることで、自分にしか出せない秘伝の味ができます。
 他人と伝授し合うことで世の中の味は進化し、さらに面白くなります。他人の味に影響を受けても、自分の味は、いずれまたオリジナルへ…

物事の基礎を学ぶうえで、他人の真似をすることは、むしろ好ましいことである。問題は単なる真似なのか、真似を通じて自分のスタイルを作っていくかである。単なる物真似は、進歩の放棄でしかない」 オリバー.ナポレオン.ヒル(作家)

 

私が晩年にたどり着く味とはどんなものだろうか?

 満足のいくものになっているだろうか?

 自分が1年生だった時の気持ちを時々思い出す。
 それはきっと、マンネリ化し、停滞した日常を壊してくれるに違いありません。

 
 今、私は何の1年生だろう。

 目の前の人は何の1年生だろう。

 私の秘伝の味の現在地はどこだろう。


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