
★投稿修正★ 2025年4月29日 by a-NEN
あなたにとって、お金とは何でしょうか。
生活するために欠かせないモノ?
命の次に大事なモノ?
どんな思いでも叶えられるモノ?
ステータス(身分や地位)? 力の象徴?
幸せをもたらす天使? それとも、人を狂わす悪魔?…
あなたは、お金で、幸せを手にしていますか。
お金に苦しめられたり、お金に振り回されたりはしていませんか。
お金のことをどれほど理解しているでしょうか。
私たちは、お金に囚われ、縛られ過ぎています。本当の幸せを得るために、お金との向き合い方を根本的に見直すべき時期にあります。お金の力は絶大なため、 “お金至上主義”ともいえるような歪んだ世界に巻き込まれていると考えます。お金至上主義が招きうる問題を図でまとめました。お金への固執が、現代の主な社会問題と直結しています。お金に重きを置き過ぎると、こころが歪み、こころが貧しくなるリスクが高まります。
※図は、招きうる問題を整理したものであり、全ての人に当てはまるものではありません。もちろん、富裕層で徳のある方もおられます。誤解なきように!

(作成ツール:Simple Mind Lite)
はたして、
たくさんのお金があれば、幸せになれるのでしょうか。
どれだけのお金があれば、幸せになれるのでしょうか。
もちろん、お金はたくさんあればあるに越したことはないでしょう。お金がたくさんあれば、物質的にも、精神的にもゆとりのある生活ができます。
お金持ちとは、どんな人のことをいうのでしょうか。
様々な知恵を授けてくれる仏教でいうお金持ちとは、たくさん稼いでいる人のことではなく、 “自分の収入に見合った等身大の生活ができる人”、“他人のためにお金を使う心の豊かさを持っている人”のことを指すそうです。共感。
自分が生活する上で、最低限必要なお金がいくらなのかを知ることがまず重要です。現在、足りないのか、余裕があるのか。もし、不足がないのであれば、増やすことには囚われ過ぎない方が良いでしょう。なぜなら、欲望は果てしないので、求めるとキリがありませんし、苦しみしかないからです。仏教で言うところの“足るを知る”(必要以上のものを求めない)ということですネ。基本的には、今あるお金で工夫をするということ。お金がないからできないと言うのは、やらないための言い訳かもしれません。
「金がないから何もできないという人間は、金があっても何も出来ない人間である」
小林一三(実業家)
「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが渇いてくる」
アルトゥル.ショーペンハウアー(哲学者)
そう考えると、お金は、得ることよりも使い方の方がはるかに重要ということです。
意味のあるお金の使い方、いわゆる生きたお金の使い方というものです。
幸せになるお金の使い方を紐解くカギは…
● “所有”と“シェア”
●自分にとって “本当に大切なモノ”、“本当に必要なモノ”
●どんな思いでお金を使うのか( “誰のために使うのか”、“何のために使うのか”)
まずは、お金の起源から、お金の正体に迫ります。
お金には、「交換」「保存」「尺度」という3つの役割があります。モノやサービスと交換でき、腐ること無く保存でき、モノやサービスの価値の大きさを表すことができます。
現在のお金は、紙幣,硬貨や電子マネーですネ。
その前は、貴金属(金,銀,銅)がお金の役割を果たしていました。貴金属は運搬や盗難などの不便さがあったので、両替商という人たちが預り証(手形)を発行し、貴金属と交換できる仕組みができました。この預り証が、現在の紙幣などの起源です。日本では、明治時代に、両替商は銀行となり、国内共通の紙幣(兌換券.だかんけん)を発行するために国が中央銀行である「日本銀行」を設立しました。【金との交換保証がある金本位制度】
金本位制度廃止後の現在は、紙幣を発行する国への信用をベースにして、お金の価値が保たれています。
貴金属の前はというと、お金というモノは無く、ご存知の通りの『物々交換』にたどり着きます。各集落で、猟や漁、採集、栽培など、それぞれが得意分野で食糧を多めに確保し、必要に応じて不得手な分野の食糧と交換していました。また、物々交換は、食糧以外の生活必需品(布,貝殻,塩,矢じり,砂金など)も含み行われていました。
お金以前の世界である、物々交換の本質は、自分(家族)だけで生活を完結できないことからくる、他者との支え合いということです。
今一度、理解するべきは…
●お金は生活するための道具(手段としてのモノ)に過ぎないということ。
しかも、
●私たちの支え合いの仕組みを機能させるための道具だということ。
お米を作ってくれる農家がいるからご飯が食べられる、服を作ってくれる人がいるから服が着られるということを忘れがちです。いくら大金を持っていても、物やサービスを提供してくれる人がいないと成り立ちませんネ。「おかげさま」であり、お互いの仕事に「ありがとう」なのです。昔から今日まで、私たちは得手と不得手(凸と凹)を交換し合っており、お互いの“ありがとう”、“お疲れさま”の交流ともいえます。物やサービスを提供された時は、感謝の気持ちを、言葉として相手にしっかりと伝えたいものです。
また、
●単なるモノであるお金に価値を見いだせるのは、お金を発行している国を信用,信頼しているから成り立っているということ。
信用,信頼がなくなると、お金は何の価値もありません。信じ,信じられる力にかかっているといえます。
物やサービスを買うということ
物やサービスを買う行為は、契約です。契約とは、お金と物,サービスとを交換するという約束です。ここには双方に、権利と義務が発生し、場合によってはトラブルが生まれる可能性もあります。流行りのコスパ(費用対効果)とも関係しますが、取引が互いに納得できるかどうかということです。
もちろん、物やサービスを買うのは安いに越したことはありません。ただ、安さや入手の手軽さだけで買うことが本当に良いことなのかどうかは再考の余地があります。
物やサービスを所有するという感覚
お金で物やサービスを買うと権利が発生します。そして、権利と同時に“所有”という感覚が生まれます。しかし、この“所有”という感覚は、私たち、人特有の感覚に過ぎません。一番分かりやすいのが土地です。私たちが勝手に、土地に値段をつけて所有しているだけで、本来は全ての生き物のための土地で、一時的な借り物です。
また、所有する様々なモノは、永久ではありません。私が死ねば、私の所有は終わります。所有は誰かに引き継がれるでしょうが、全てのモノは変わりゆくこと(諸行無常)からも、 “所有”の感覚自体、幻だといえます。
所有にこだわり過ぎると、損得勘定が強くなり、儲けのために手段を選ばなくなったり、競争や争奪が激化したりして、弱肉強食の世界が果てしなく繰り広げられます。それ故に、こころが貧しくなり、人生で大事なモノを見失ったり、失ったりすることがあるとすれば、なんとも不幸なことです。
社会(他人)に負担をかけないよう、老年期や死んだ後のために、少しばかりのお金は残しておきたいところです。ただ、必要以上に残すよりも、世の中のために使った方が良いでしょう。子どもや子孫のためにと、大きな財産を遺した結果、残念ながら新たな不幸が生み出された家族も数多くあります。
子どもや子孫には、お金などの財産よりも、生きる術(力)という財産をノコしたいものです。
「墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ」スティーブ.ジョブズ(起業家.実業家)
物やサービスをシェア(共有)するという感覚
所有という感覚とは違う世界。それが“シェア(共有)”という世界です。
この“シェア”という感覚が、これからの世界を好転させると私は確信しています。
お金は、毎日のように使うので、「物やサービスを手に入れること=お金を使うこと」と考えがちですが、実は、お金を使わずに物やサービスを手に入れる営みもあるのです。
シェアの特徴は、①物やサービスに値段がないこと、②支払いがないことです。
シェアは、2種類あると考えます。
1つ目のシェアは、文字通り、みんなのモノとして一緒に使うというものです。
江戸時代では、井戸やトイレは共用でした。また、食事のおすそ分けだけではなく、台所用品、皿や鉢などの食器なども貸し借りしていたようです。
また、昭和30年代から40年中頃くらいまでは、電話や白黒テレビは高価で、裕福な家にしかありませんでした。この時期、近所の家で電話を借りたり、テレビを一緒に見せてもらったりしていました。意外とつい最近のことなのですよネ。[驚]
みんなで、税金や社会保険料を収め合うという形をとってはいますが、行政が関わる公共サービスも広い意味ではシェアといえます。警察,消防,学校,図書館,ゴミ処理,上下水道,医療保険制度,介護保険制度など…
2つ目のシェアは、モノをプレゼントするというものです。
昔から文化として大事に引き継がれてきた、余剰をプレゼントするという“おすそ分け”とその後に続く物々交換という世界があります。
今こそ見直したいのが、この日本が誇る“おすそ分け”の文化です。ここには、古くから日本人が大切にしてきた“お互いさま”の精神があります。多く収穫できたら、多く作ったら、独り占めせずに分け合おうというものです。 “お互いさま”とは、お互い同じ立場や状態に置かれているという認識から、助けたり,助けられたりすることを指します。 “持ちつ持たれつ”というステキな言葉もあります。
そして、余剰ではなくわざわざ調達してプレゼントするという形もあります。中には見返りを求めているものもあるかもしれませんが…[汗] 多くの場合は、純粋に相手に喜んでもらうことが目的だといえます。
幸せになるお金の使い方=幸せのためにお金を使う=意味のあるお金の使い方です。
お金を使うことに、どんな意味を持たせ、どう使うのか。
一番大事なことは、自分にとっての幸せが何であるのかを知ることです。
3つお尋ねします。
Q1: あなたにとって、一番大切なものは何ですか。
Q2: あなたが幸せを感じる時は、どんな時ですか。
Q3: あなたが買おうとしているモノは、本当に必要なモノですか。
Q1とQ2の答えが、あなたの人生を豊かにするものであり、あなたの幸せを知るヒントとなります。
「私の大切なものワーク」なるものがあります。誰が考えたものかは分かりません(福祉施設の職員研修?)が、南野忠晴 著「シアワセなお金の使い方」 岩波書店 2015年で紹介されていました。
【私の大切なものワーク】
① 紙を9枚用意し、私の大切なものを9つ書き出します。大切なものとは、物に限らず、大切なこと、大切な人でも構いません。→並べるだけで、人生観や人生のテーマも見えてきます。
ex)家族、友達、ペット、お金、健康、旅行、寝ること、華道、愛車、お酒、名誉、笑い、自分らしさ…
② 年老いてできないことが増えたので、諦めることを3つ決めて、破り捨てます。破り捨てる時の気持ちも噛みしめます。
③ そして、更に諦める状況となり、更に3枚破り捨てます。
④ そして、更に諦める状況となり、更に2枚破り捨て、最後の1枚だけを残します。
⑤ 最後まで残したカードが何か(残した理由)、どのカードを捨てる時が辛かったか(その理由)を説明します。
グループで意見交換すると間違いなく盛り上がりますネ。このワークは、自分の幸せを見つけるひとつの方法です。

Q3は、意外と普段考えていないかもしれません。絶対に必要なモノなのかどうか。
高いモノだから良いモノとは限りません。値段は、世の中が勝手に決めているもので、物やサービスの価値は自分で決めるものです。物やサービスの価値と値段は、必ずしも一致しないので、誰かが作り出した価値観に踊らされないように気をつけたいところです。
Q3を考える際に、大事なのが、 “誰のために使うのか”と“何のために使うのか”です。
“誰のため”は、私的なのか公的なのかということ。自分のため? 他人のため? 世の中のため?
“何のため”は、喜びのため? 悲しませるため? 保身のため? 信念のため?など…
時には、自分のためだけに、お金を使うことも大事だと考えます。
自分のために使う
●自分が楽しめるモノ、成長できるモノを買う
自分磨きや自己投資という言い方をする人もいますネ。
ex)おいしいものを食べる、趣味のモノを買う、本を買う、健康や美容のためのモノを買う、講演会や勉強会に参加する..
● “体験”や“経験”を買う
こころの豊かさや思い出づくりになるので、モノを買うよりも、こちらにお金を使う方が有意義だと考えます。
ex)旅行、キャンプなどの野外活動、各種アクティビティ(運動,スポーツ,ものづくり,各種体験、各種ワークショップ)、芸術鑑賞(音楽,映画,舞台,絵画など)、スポーツ観戦…
お金を自分のためだけにしか使わない。なんか、こころの貧しさを感じますよネ。
他人のために使う
モノを買う際:
良いモノには、少し値段が高くてもお金を出すことも必要でしょう。Give & Take、Win.Win。作り手の情熱、手間ひま、モノの安全性などが重要です。作り手が、客や社会の利益も考えているのか、客や社会を蔑ろにして作り手の利益しか考えていないのか… どんな価値を大事にして売るのか、どんな価値を大事にして買うのか。モノの価値をしっかりと見定めるという思考を大事にしたいところです。そうした買い物が、お互いの暮らしを豊かにするのではないでしょうか。お金を通じて、気持ちを通い合わせましょう。
消費者が作り手を育て、作り手も消費者を育てるというステキな関係ができると、世の中が良くなると思いませんか。
お金を使わないシェア:
身の回りでよくあるのが、自分に不要なモノを他人にあげるというものです。赤ちゃんの日用品、子どものおもちゃ、服や靴のお下がり、その他日用品、本、色んな道具、保存が効く食べ物など…
また、今でも、いわゆる田舎の方では、余剰の食材や食事をご近所に分けるという文化が少なからず残っています。都市部でも、ひと昔前には、隣近所に調味料を借りに行くというような文化も残っていました。
災害時の物の譲り合いも、日本人のこの精神からくるものでしょう。
お金を使うプレゼント:
どうせお金を使うなら、他人と一緒に楽しむ、一緒に成長する方が良いでしょう。身の回りでよくあるのが、旅行帰りに、ご近所や職場に配るお土産ではないでしょうか。別に、買う筋合いもないものですが、旅行気分や楽しかった思い出を“おすそ分け”するというささやかなプレゼントだといえます。
何かのタイミングで、相手が喜ぶ物を買う、食事をごちそうする、手作りの品をプレゼントする、一緒に遊びに行ってお金を出すというものもありますネ。
世の中の発展のために使う
モノを買う際:
社会の利益でもあるSDGsもひとつの判断基準だといえます。
また、地元地域の支え合い,発展という視点で考えると、多少高くても地産地消に協力することも必要でしょう。
さらに、世界の貿易で考えると、貧困地域とのフェアトレードも大事な視点です。
お金を使わないシェア:
自分が使わない物を寄贈する、ボランティアで自分の技術を提供するなど。都市部でも展開されている、子ども食堂やフードバンクの取り組みは、日本の古き良き精神を現代版にしたひとつの形だといえます。
お金を使うプレゼント:
代表的なものがお金の寄付。必要としている物を買って寄贈するなどでしょうか。寄贈は、今で言うと、大谷翔平さん。昔で言うと、タイガーマスクってところでしょうか…[汗]
「幸せはお金で買える」というインパクトのあるフレーズで有名なマーケティング専門家のマイケル.ノートン教授の研究がとても興味深いです。
自分のためにお金を使うより、他人のためにお金を使う方が幸福感を得られるというもの。そして、まわりの人との活動性も高まるので、幸せを買おうと提唱しています。
『幸せを買う方法』という動画をご覧下さい。↓(日本語字幕の設定ができます)
マイケル.ノートン教授は、「幸せをお金で買う」5つの授業 という本も出版されてます。
この研究結果は、理にかなっています。
なぜなら、他人のためにお金を使うと、自己決定理論でいう3つの基本欲求「有能感」「関係性」「自律性」が高まるからです。
有能感の欲求…自分には能力があり、社会の役に立っていると感じたい。
関係性の欲求… 他者と尊重し合う精神的な関係を築きたい。
自律性の欲求…自分の行動は、他者から強制されず、自分で決めていると感じたい。
そして、この3つの欲求は、満たされると幸福感が高まるのです。
中でも、自律性の欲求というものが最も重要なようです。他人のためにお金を使うにしても、誰かから強要されてするのではなく、自発的にすることに意味があります。
幸福感は、贈り物をされた人だけが得られるものではなく、実は贈り物をした人も得られるということです。先に相手に与えるから、相手からも与えてもらえる。相手の幸せを思うから、相手からも大切にされるという構図でもあります。
仏教に、『三尺三寸箸の譬(たと)え』という寓話があります。
地獄では、たくさんの食事が並べられているにもかかわらず、皆ガリガリに痩せています。よく見ると箸が三尺三寸(約1メートル強)ほどあり、食事を自分の口に入れることができません。一方、極楽では、同じ三尺三寸の箸でしたが、「どうぞ」と言って食事を他人の口に運んでいました。そして、次にお返しをして、互いに与え合っていたというものです。地獄では、「自分さえ良ければいい」の自己中心的な行い、極楽では、「お先にどうぞ」の思いやりの行いということです。
せっかく食べるのであれば、自分ひとりだけで食べるよりも、他の人と一緒に食べた方が幸せは何倍にもなりそうです。できれば、自分から先に、相手に与えられる人になりたいですネ。
私たちが目指す生き方は、共存,共栄しかありません。
全てとのつながりの中で、自分が生かされていることを考えると、自分だけの幸せはありえないのです。共に豊かになることでしか、自分を豊かにすることはできません。弱い立場の人も暮らしやすい社会が、私も含めてみんなに優しい社会でもあります。
他人の幸せと自分の幸せとが直結しているということに気づき、行動を起こすべき時…
お金は、所有のためより、シェアのために。お金は、他人と喜び合うため、他人を喜ばせるために使う方が有意義。
シェアは、他人や社会が良くなるためのお金の使い方です。物を分け合うというのは、幸せを分かち合うということ。温かなこころの交流のこと。お金を使わずに物を手に入れるという、家族的、身内的な関係が広がれば広がるほど、お金を使った消費(契約としての買い物)は、少しばかり減ります。いざこざや諍いも少しは減るかもしれません。笑顔や思い出もシェアですネ。
「効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる」斎藤茂太(医師,随筆家)

お金との向き合い方は、こころの写し鏡であり、生き方そのもの。
私たちの世界には、こころの眼でしか見えない三尺三寸箸があり、お金によって、人間性を試されているのではないでしょうか。お金の持つ強力な力に呑み込まれない、惑わされないようにしたいですネ。
お金は使い方次第で、幸せにも不幸にもなります。
私は、幸せになるお金の使い方ができているだろうか。


やる気がアップしますので、ぜひ、時々、上の2つをクリックしてやって下さい!