★投稿修正★ 2026年3月29日 by a-NEN
私は、子どもの頃に「嘘つきは泥棒の始まり」「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる」という言葉を親から教えてもらった記憶があり、「嘘をつくことは悪いことだ」と知りました。
ただ、“なぜ悪いのか”という説明は、今まで上手くできませんでした。嘘にまつわることわざは 「嘘も方便」「嘘から出た実(まこと)」などなど他にもあり、嘘を戒めるものだけではなく、時には必要であると捉えるものまで様々あります。
嘘をつくことに関して、間違いなく言えることは..
◎私たちは皆、嘘をついて生きている →嘘をついたことがない人はいない
◎嘘をつかれると、腹が立ったり、悲しくなったりする
◎嘘をつくと、自分にモヤモヤした気持ちが残る
ということです。
私たちは、嘘ととともに生きています。“嘘をつかない生き方”は果たしてできるのでしょうか。今回は、嘘をつくこととどう向き合っていくのが良いのかを一緒に考えましょう。
まずは“嘘をつくこと”の定義から..
嘘をつくとは何をすることか
はじめに、嘘をつくことと騙すことの関係性から見てみます。2つは、一見すると同じように思えますが実は違います。池田喬氏の著書「嘘をつくとはどういうことか」に分かりやすい説明があります。偽物のブランド品を店で買ってしまったケース。店員に声をかけられずに自分の判断で買った場合と、店員に「ブランド品です」と声をかけられて買った場合です。どちらも騙されたことにはなるのですが、後者は言葉が発せられているため、嘘をつかれたと言えますが、前者は言葉が発せられていないため、嘘をつかれたとは言えません。嘘はつかなくても(無言でも)騙すことはできますし、嘘をついても騙されないこともあります。
嘘をつくとは、相手を騙そうと意図して、自分が真であると信じていないことをあたかも真であるかのように言うこと(言葉を発すること)
と定義できます。
真ではないことでも、騙す意図がなく、自分が真であると信じて相手に言った場合は、嘘ではなく間違いということになります。ここでは、間違ったことにどう対応するのかという別の課題が発生しますが..
嘘は、ついた本人に自覚があるというのもポイントの1つです。
話は少し逸れますが…
「騙される人も悪い」と言う人がいますが、それは間違いです。騙す人が100%悪く、騙された人は全く悪くありません。騙された人を厳密に評すれば、浅はかだった、勉強不足,経験不足だったというだけのことです。「騙される人も悪い」というのは、悪いことをした自分を正当化したい騙す者の言い分であり、騙す側の苦し紛れの言葉です。
盗まれた人も悪いのか、いじめられる人も悪いのか、暴力を受ける人も悪いのか、殺された人も悪いのか、戦争に巻き込まれた国も悪いのか.. ということと同じです。
人を平気で騙す人は、騙し合いの世界でしか暮らせず、ずっとその苦しみに縛られ続け、人を信じることすらできないという残念な人生を歩むことになるでしょう。
話を戻します。
嘘をつくことは良くないように思えますが、では、私たちはなぜ嘘をつくのでしょうか。
なぜ嘘をつくのか
人は、社会性のある生き物です。
どうやら“自分をどう守るのか” “他者とどう生きていくのか”という生き方を学ぶためには、嘘を学ばなければならないようです。
教育哲学者のオットー.フリードリヒ.ボルノーは、「率直」というものを次のように説明しています。
率直:ごまかしや嘘がなく、自分が信じていることをそのまま言うこと。自分が信じていることと言
っていることとが一致している状態。
率直とは、良さそうなものに思えますが、自分や他人を傷つけても嘘をつかずに思ったままのことを言う状態であり、自分も相手も傷を負います。つまり、率直とは、自他への思慮に欠けるものでもあり、必ずしも適切だとは限らないのです。ボルノーは、率直だけの状態は、こころが成熟する以前の状態であるとも言っています。裏を返すと、嘘を知らない,嘘がつけないということは、成熟な状態ということです。
私たちは、自分が嘘をついた時の周囲の反応から、嘘をつくことが規則違反であることを知り、どのような嘘がどのような違反になるのかを学んでいます。また、嘘をつくには、能力が必要となるため、素振りや誇張などの演技も含め、うまく嘘をつく方法や嘘を隠し続けるための方法を考えたり、模索をしたりなどの修練を積んでいます。相手を信じさせるために、時には誠実さ、感動をもたらすような演出をすることも必要です。詐欺や洗脳は、これらの能力を悪用したものです。
ちなみに、嘘をつくこととよく似た規則違反に、論点ずらし,沈黙というものもあるようです。
何とも不思議ですが、嘘をつくことが、こころの発達に貢献しており、成長のためには必要なもののようです。嘘をつくことは、自分のこころを持つことであり、子どもが嘘をつくのは成長の証でもあります。
私たちは、時として自分と相手を守るために、嘘のつき方を習得して嘘をつく。どうやら、私たちは、嘘をつきながら成長していく生き物のようです。
嘘をつく時には、何らかの目的(動機)があります。
嘘の種類と嘘をつく目的
嘘の種類を動機(嘘をつく目的)でまとめてみました。改めて整理してみると、丸裸となりギョッとします[汗]

善意的か悪意的か、自発性が高いか強要性が高いか、誰のための嘘かという軸で整理しています。
●自分の欲望を満たすための嘘(自己利益の追求、自己の承認欲求、同情や構って欲しいなど)
●自分を守るための嘘(悪事を隠す、言い訳や取り繕い、現実逃避、他人に助けを求める、他人に言いたくはないパーソナルな嘘、相手や社会からの疎外を避ける、罰などから心身や生活を守るなど)
●相手を貶めるための嘘(自己利益のために騙す、相手に損害を与える、デマで相手の評判を下げるなど)
●相手の利益のための嘘(相手を前向きな気持ちにさせる、相手への気遣い、相手に心配をかけない、相手をかばうなど)
●相手との関係性を保つための嘘(相手を刺激しない、面倒を避ける、社交辞令など)
●ユーモアとして楽しむための嘘(ファンタジーの世界で遊ぶ、相手を楽しませる、サプライズイベントなど)※ファンタジー:子どもにサンタクロースの話をするような類。
●病的な嘘(人格障がいなど)
嘘をつくことは、相手を騙そうとする意図だけでは説明がつかないところがあります。言いたくないことを言わされる、言いたいことが言えないなどの状況もあり、複雑です。つまり、つく嘘には、自発性の高いものから強要性の高いものまでグラデーションがあるのです。
強要性について少し解説しますと、一番強いものは、嘘をつかないと命や生活が脅かされるもの。例えば、銃やナイフを突きつけられた状態,人質を取られた状態や全体主義国家下での嘘です。また、冤罪強要下における嘘も強要性は高いと言え、LGBTQなどの表明を躊躇することも、表明しにくい環境によって偽(嘘)を誘発された状態だと言えます。強要性の高い嘘の場合、問題は、嘘をついた本人よりも、まわりの人や社会の側にあると捉えることの方が自然です。本当に変わるべきは、嘘をついた本人ではなく、嘘をつかさせたまわりや社会の方だと考えると、私たちは自身の言動や社会のあり方を熟考する必要があります。
自発性と強要性の中間地点には、相手との関係性を壊さないための嘘もあります。
いずれにせよ、誰のために,何のために嘘をつくのかが重要であることは確かです。誰のためにつくのか(相手のため? 自分のため? お互いのため?)、何のためにつくのか(喜ぶため? 悲しませるため? 守るため? 困らせるため? 称えるため? 貶めるため?)
嘘を解釈する際は、本人を取りまく状況と嘘をつく動機というものをセットで捉える必要があります。
嘘には、良い嘘と悪い嘘とがあるようです。
良い嘘は、他人や自分を幸せにする嘘。悪い嘘は、他人や自分を不幸せにする嘘。
幸せにする嘘とは、相手に良いものを与える思いやりの嘘です。喜ばせるもの、リラックスや安心感を与えるもの、自信を生み出すもの、希望が持てる(未来が信じられる)もの、夢や可能性を広げるもの、何かを生み出す原動力となるもの、遊び心も含め楽しめるものです。心地よい気持ちや行動を促すような、未来思考のポジティブなものと言えます。
不幸せにする嘘とは、幸せにする嘘の真逆のもので、相手からモノを奪う嘘です。金品などを奪うだけではなく、悲しませ、不安や恐怖を与え、自信を喪失させ、夢や可能性を奪い、人生の転落以外何も生み出さないものです。
仏教の教えに、還著於本人〘げんじゃくおほんにん〙というものがあります。これは、自分自身が行なったことは、善行も悪行も最終的に自分自身に返ってくるという考え方です。私たちが相手と共に生きているという事実を考えれば、当然のことと言えます。嘘をつくことで、最終的にもっとも大きな影響を受けるのは、嘘をついた私自身です。
私たちは、常に心に支配されています。そして、言葉には人を動かす力があります。そう考えると、嘘をつく際には、私も他人も心地よくなれるかなど、その良し悪しをよく考えることが大事と言えます。
善意の嘘は良いものなのか
相手に害を与えるため、悪意の嘘が良くないことは明らかです。では、善意の嘘は良いのでしょうか。単純に考えると、善意の嘘は良いに決まっていると言えそうですが、果たしてそうでしょうか。
倫理学の中で、悪の“害説”と“尊重説”というものがあります。簡単に言うと、害説とは、実害を与えるから悪いという考え方です。例えば、金銭的な不利益、時間的な喪失、世の中に混乱を招くなどです。嘘をついても、結果的に相手に害を及ぼさなかった場合や逆に利益となった場合は、悪くはないという捉え方に至ります。ただ、ここには、こころが傷つけられる(人への不信、侮られたことへの悲しさや悔しさ)というものは含まれません。
一方の尊重説とは、実害はなくても、相手への尊重を欠く行為であるから悪いという考え方です。嘘をつくという行為そのものに悪さを含んでいるため、たとえ、相手が喜ぶ結果であったとしても、問題は残るという捉え方に至ります。[う~ん、奥が深いですネ]
尊重とは..
私と相手を対等にとらえ、相手も大切にすることです。私に様々な願望や希望があるように、相手にも同様のものがあることを理解し、相手の立場や思考,言動を認めるということです。
※相手の思考や言動を肯定する必要はありません。
嘘とは、真(や本心)ではないことを意図して言うことであり、騙すことと隠し事と深く関係しています。悪意であろうと善意であろうと、騙すことには変わりありません。また、嘘は一旦ついてしまうと、相手に隠し続ける必要があるため、ずっとつき続けることになります。騙せたかどうかに関係なく、嘘をついたという事実は紛れもなく残ります。そして、残念ながら、相手に嘘がバレることもしばしばです。
よくある善意の嘘は、相手を傷つけないための嘘、相手を悲しませないための嘘でしょう。日常的なものだと、例えば、自分の本心ではないけれど、相手の容姿や作った料理を褒めたりするような場面です。いただいたプレゼントが自分の好きなものではないにもかかわらず「好きだ」と言ったり、相手のお勧めのモノが自分の好まないものであるにもかかわらず「好みだ」と言ったりすることもあるでしょう。深刻なものだと、本当の病状を本人に伝えずに「大丈夫だ」と言うような場面などでしょう。事実を伝えない嘘というもので、私が考えさせられたのは、前出の池田氏が著書の中で紹介されている、人工受精で生まれてきた人が、事実を知らされなかったことに対して感じた気持ちの一例です。事実を知らされなかったご本人は「自分の人生も嘘のように感じた」と述べられており、私たちの感覚に一石を投じるものです。(里親でも同じことが言えます)
生みの親と育ての親が同一であることが普通であり、違うと不幸であるという個人の感覚や社会の風潮。事実を伝えることで、本人が不幸になるという思い込みや決めつけ。事実を伝えないという接し方が、結果として、本人をいつまでも大人ではなく子ども扱いをしているような状態に陥ってしまっていること..
私たちは、私や社会の常識に基づいた幸せ感でモノを見てしまう傾向があるため、相手のためだと称する私の行為が、自己中心的であることも意外と多いのではないでしょうか。私の善意を相手がNGとした時に、私の本性が現れます。自己満足だったり、価値観の押し付けであったり、相手を見下していたりすると、相手への尊重を欠いていることになります。
嘘をつくことの代償① 相手が意思決定をする際の選択肢を損なう危険性
真実を伝えないことにより、相手が意思決定をする際の情報が不十分となります。つまり、相手にとっての必要な情報を損なう危険性をはらんでおり、偏った情報により下された意思決定により、結果、相手の利益が損なわれる危険性があります。
★「今、つこうとしている嘘が、相手の将来の意思決定や行動にどのような代償を強いるのか」ということを良く考える必要があります。

相手にとって良かれと思ってついた嘘が、結果として相手を傷つけることもあることを私たちは経験済みです。当たり前と言えば当たり前ですが、相手が良かったと思うかどうかは、相手次第です。嘘をつかれた時の捉え方も人によって様々です。中には、善意の嘘であっても、嘘は絶対に許さないという人もいるでしょうし、嘘をつき続けられたという事実そのものにショックを受けて心が傷つく場合もあるでしょう。前出の人工受精で生まれてきた人の憤りは、まさに、相手の嘘をついたという行為そのものに向けられているのです。嘘をつかれた側の気持ちや悲しみまでを考えると、善意の嘘であっても、嘘をつくことを正当化できない側面があることが分かります。相手の気質や相手との信頼性によるところもあるでしょうが、善意の嘘が必ずしも、心遣いとして好意的に解釈してくれるとは限らないことを肝に銘じる必要があります。
嘘をつくことの代償② 相手との信頼関係を損なう危険性
嘘は、人間関係の基盤である信頼を根本から破壊します。嘘が発覚すると、人が信用できなくなったり、人から侮られたと感じたりすることもあるため、人間関係の修復が困難となる危険性があります。当初の嘘そのものよりも、その嘘を隠すために重ねた嘘という隠蔽行為の方が深刻なダメージを与える場合も少なくありません。謝っても許してもらえないこともあり、取り返しがつかなくなることもあります。
★「今、つこうとしている嘘が、相手との関係性にどのような代償を強いるのか」ということを良く考える必要があります。
嘘をつくことは、相手を傷つけたり、相手との関係性が悪くなるだけではなく、嘘をついた自分を苦しめる側面もあります。自分には嘘をついた自覚があるため、自分を誤魔化すことはできません。
最初についた小さな嘘が、大きな嘘へと変化していくこともしばしばです。嘘をつくと、多くの人には、後ろめたさや後悔が付きまといます。嘘を重ねる苦しみ、本当のことが言えない(隠し事をする)苦しみ、嘘がバレた時の代償や責任への怯えなど.. 嘘をつくということは、バレた時の覚悟はあるのか、責任を負えるのかという課題を背負うことでもあります。
様々な研究により、嘘をつくことが健康上の危険因子であることが指摘されています。嘘をつくと、ストレスホルモン(コルチゾール)やアドレナリンの分泌が促され、血圧や心拍数の上昇、血管の収縮も引き起こします。コルチゾールやアドレナリンが多くなると、免疫機能が低下したり、慢性疲労を生みます。血圧上昇、心拍数増加、血管収縮が慢性的になると、高血圧症、心血管疾患を引き起こすリスクがあります。また、嘘をつくことと抑うつ状態を引き起こすこととの関連性も指摘されています。そして、嘘をついた人は、真実を語った人に比べて自尊心が低下し、罪悪感や不快感といった負の感情が増加することも明らかにされています。道徳的な理想と嘘をついたという現実とのギャップが、こころの健康を蝕むことになります。
嘘をつくことの代償③ 自分の健康や自分らしさを損なう危険性
嘘は、たとえバレなかったとしても、善意でついたとしても、ついた本人に心理的ストレスを与えます。嘘をつき続ける不安や疲労、正直さという道徳的価値観との不協和からくる罪悪感や不快感が生まれます。不安や疲労だけではなく、自己嫌悪、自尊心の低下も含め、精神的健康を悪化させる危険性があります。(悪化が進行すると、精神的な病気になる恐れもあり) 精神的不健康だけではなく、身体的な不健康も招くため、影響は深刻です。健康的に、自信を持って自分らしく生きることを妨げる危険性があります。
★「今、つこうとしている嘘が、私自身のこころと身体にどのような代償を強いるのか」ということを良く考える必要があります。
「嘘つきに与えられる罰は、人から信じてもらえなくなるというだけではない。本人が他の誰も信じられなくなることである」ジョージ.バーナード.ショー(文学者,劇作家,評論家,政治家,教育家)
善意の嘘の善とは、つく本人の価値観によるものです。また、様々な代償も含めて考えると、善意の嘘は、無害ではないため、必ずしも良いとは言えないのではないでしょうか。優しい嘘であっても、つく際には慎重さが必要だと考えます。
嘘をつくことと向き合い直す
私たちが再考すべきは、“嘘をつく以外の手段はないのか” “嘘をつくことが最良の手段なのか”ということです。嘘をつくことは1つの手段にしか過ぎず、私たちは、嘘をつかない手段を選ぶこともできるようです。
オットー.フリードリヒ.ボルノーは、「正直」というものを次のように説明しています。
正直:嘘や偽りがないこと。嘘をついて相手とのわだかまりや自身の苦しみを抱え続けて自分を失っ
てしまうことと、嘘をつかずに勇気を持って相手に本当のことを話して自分の気持ちに忠実
で自分らしくあるということとの間で葛藤できる状態。つまり、嘘をつくべきかどうか葛藤
できるこころを持っており、嘘をつくことを思いとどまったり、自分が信じていることを素
直に言ったり、相手と話し合う努力ができる状態である。
例えば、あまり好みではないプレゼントをいただいた場合です。いただいた側であれば、プレゼントの感想で嘘を言わず(好みではないのに「好みだ」とは言わない)に、相手がプレゼントをしてくれた行為だけに焦点を当ててお礼を言うこともできます。逆に、あげる側であれば、自分の想像だけで買わずに、相手に好きなものを聞いたり、相手と一緒に買いにいくという方法もあります。サプライズプレゼントが狙いだったとしても、プレゼントを贈ることのそもそもの意義を考えると、双方が嬉しい気持ちになるということが一番の目的になるのではないでしょうか。
正直さには、相手の自律性への尊重、相手との対等性があり、思いやりと率直さの共存があります。
正直さを実現するためには、相手との関係性を深める必要があり、相手との関係性を深めるためには深いコミュニケーションが必要となります。推測や想像ではなく、相手と直接対話を深めることです。相手が大事にいていること、信じていること、願っていること、望んでいることなどを知ることができる可能性が高まります。善意の嘘も控えることで、相手の考えや思いを聞く、話し合いの機会が拓かれていくのです。
関係性が深まると、先のプレゼントの場合、相手の行為そのものに肯定的なメッセージを伝えつつ、違うものの方が好みだと自分の本音を伝えることも可能となります。
嘘をつきたくないので黙るという手段もあります。嘘をつくよりはマシかもしれませんが、コミュニケーションとしては消極的なため、あまり良い手段とは言えません。
「真を伝える」ために必要なのは、愛と信頼。
善意の嘘には、落とし穴がある一方で、愛や信頼感を高める要素があることも事実です。嘘をつくという行為自体は、“誠実性”という部分で、相手の評価を損なう部分があります。しかし、嘘が、ついた本人のためではなく相手を思いやる“善意”から生まれたものであると認識された場合、善意に対する評価が、誠実性に対する評価の低下より上回り、結果として全体的な信頼感(特に「この人は自分を気遣ってくれる」という信頼)が高まることがあるそうです。
優しい嘘が果たすプラスの面です。
「私たちは嘘をつく生き物だから仕方がない」と開き直るのは、あまりにも短絡的です。また、適当に嘘を言って、表面的なやり取りでその場をしのぐ方が楽かもしれませんが、すごくもったいない感じがします。そして、善意の嘘は良い部分もありますが、いつも良いものであるという決めつけは危険です。
コミュニケーションとは、実践的なスキルを磨くプロセスです。目指すべきは完璧さではなく、他者も尊重する,社会のあり方を問うことすらできる、思慮深い誠実さや正直さを持つことです。今の人間関係は本当にそれでいいのか、もっと別のより良いあり方はないのかという視点を持ち、他者と交わることを通して学ぶことが大事だと思います。
私の今の結論は..
■嘘をつくことは、マイナス要素が多いため、あまり良くない。(私が善意と考える嘘も無害ではない)
■善意の嘘は、信頼感を高めることもあるため、必要なものでもある。
■嘘をつきたくなる誘惑に駆られた時に、一度立ち止まって自問をする。
■嘘をつく以外の別の方法を用いて、嘘は極力控えるに越したことはない。

私は、自分がどういう世界に生きているのか、他者とともにこの世界でどのように生きていくのかをこれからも学び続けたいと思います。
私は、「真を伝える」覚悟が持てるだろうか。
◆参考図書:池田 喬 著「嘘をつくとはどういうことか」 ちくまプリマー新書 2025年
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