
★投稿修正★ 2025年7月21日 by a-NEN
結果とプロセス(過程)は、表裏一体,両輪であるため、どちらも大切なことは言うまでもありません。
結果とプロセスとの関係を図でまとめてみました。

結果とは、「果(木の実)を結ぶこと」なので果実です。
そして、果実を得るには、健康な根っこ・幹・枝・葉っぱが必要です。この、根っこから葉っぱまでが、個人では自分自身であり、人としての総合的な能力を指しています。集団に置き換えると、家族,会社,様々なチームや団体,地域,国,世界となり、集団としての総合的な能力となります。
根っこは、個人であれば、心身の健康と精神性です。当たり前ですが、まず、心身がある程度健康であることが大事です。集団においても、個人や各部署がある程度健康的であることが大事です。精神性とは、具体的には、心がけ(人生観や道徳観などの価値観)やこころのしなやかさなどです。どんな志を持ち、どんな姿勢で生きるかということであり、自分らしさの基礎となる部分です。集団であれば、家訓,経営理念,ミッション,施政方針などに置き換えられます。当然、根っこが腐っていると木全体も不健康となり、良い実がなりません。
幹は、行動力と対人関係能力(社会性)です。良い精神性が有っても行動に移さなければ生かされません。とにかく、行動がなければ何も始まらないということです。また、どれだけ良い枝(知性)や葉っぱ(技術)をつけようとしても、幹が細っていると機能が発揮できません。幹と枝(知性)とは一体的なものなので、大事なのは、 “動きながら考える、考えながら動く”ということです。社会性の良し悪しも、木全体に大きく影響します。これらは、集団についても同じことがいえます。
枝は、知性です。知性とは、物事の本質を見抜き、論理的に考え、適切に判断する力です。考えや判断を誤ると葉っぱ(技術)がおかしなことになります。集団についても同じくです。
葉っぱは、技術です。技術を磨かないと木は枯れてしまいます。また、根っこから枝までが健康でなければ、葉っぱ(技術)の能力も発揮できません。集団についても同じくです。
根っこから葉っぱまでを育てるもの、それは、環境です。主には、日光、土、水です。木は、太陽,土,雨,風や昆虫,鳥などからの恵みを受けています。環境とは、子ども時代なら、家庭環境(家族,経済状況)、地域環境(学校の先生などの身の回りの大人,友達,先輩後輩など。国や地域の特性)といえます。もっと広くいえば、私までつないでくださったご先祖さま、日本の文化を遺してくれた先人たち、人類の先人たちも含まれます。大人になれば、移動することにより家庭環境も変化し、人間関係も様々な広がりをみせ、経済状況や地域環境も変わっていきます。恵まれた環境、不遇な環境と人様々ですが… 自分自身で努力して木を育てなくて(手入れがない木)も、環境の恩恵(まわりからの支えや影響)によりそれなりに木は育ち、実もなります。これらは、集団でも同じといえます。
プロセスとは、 “より良い実をつけるために、自分や集団という木(力)を努力して育てること”だと考えています。土を作り、水をやり(時には雨や風を避け)、場合によっては日照を調整し、枝や葉っぱを剪定し、幹や枝を保護し、受粉作業をしたり、実が傷まないよう保護したり…
ちなみに、農業には、慣行農法、有機農法、自然農法など様々なやり方があるようです。
・農薬を使うか否か。
・肥料を使うか否か。化学肥料を使うか否か。有機肥料を使うか否か。
・土を耕すか否か。
・草を抜くか否か。
生産性、生態系破壊、土壌汚染、健康被害についてどう考えるかで、プロセスが変わります。何が良い悪いとは、一概には言えませんが、私としては、虫が付かない木や作物が健康的であるといえるのかどうかという疑問はあります。遺伝子組み換えは、完全に禁じ手です。
プロセスには、明確な理由により、あえて手を加えないというものもあると考えています。上記の4作業を全部しないという自然農法もあるようですが、これは、あえて余計な手を加えず自然の摂理にかなうように管理をしているのであって、決して何もしていないのではなく、工夫を凝らしたプロセスだと解釈できます。
時には、良くないプロセスのせいで、木や実がダメージを負うこともあるでしょう。その時には、気持ちを切り替え、プロセスを柔軟に見直し、またやり直せば良いのです。
この手間ひま、つまりプロセスが、木と実の命運を握っていると私は理解しています。
プロセス(process)とは、結果を得るために必要な、物事を進める手順や方法のことです。
プロセスについて考える前に、私たちの活動のサイクルを見てみます。短いサイクルでいうと、「インプット(入力)」と「アウトプット(出力)」の繰り返しということです。インプットとは、情報,知識,経験を自分(や集団)に取り込むことです。そして、アウトプットとは、インプットしたものを処理し、言動にうつすことです。インプットとアウトプットとは、一対であり、私たちはこのサイクルをグルグルと回し続けています。インプットの工夫、処理の工夫、アウトプットの工夫は、プロセスの工夫でもあります。
また、目標達成や業務改善,品質改善でよく使われるPDCAサイクル(Plan−Do−Check−Act)やLAMDAサイクル(Look−Ask−Model−Discuss−Act)などもプロセスを理解するのに役立ちます。
プロセスが進化することで、私や集団が進化し、私や集団が進化することで、プロセスも進化するのです。
進化という点から考えると、プロセスで重要なことは、学びから、変化を加えること(アレンジ)
または、変化させない方が良い部分には、変化を加えないことです。
変化を加える対象を理解するために、ものごとの枠組みである7W4Hが参考になります。
When(いつ)、Where(どこで)、Who(だれが)、Whom(誰に)、What(何を)、Why(なぜ) 、Which(どれから)、How(どのように)、How many(どのくらいの量で)、 How much(いくらで)、 How long(どのくらいの期間で)…するのか。
時や場所を変えてみる、相手を変えてみる、協働の方法を変えてみる、コミニュケーションの方法を変えてみる、発想,モノの捉え方(視点)を変えてみる、内容を変えてみる、手順を変えてみる、情報源を変えてみる、時間の作り方,使い方を変えてみる、お金や物の集め方,使い方を変えてみる…
学びにより、物事の本質や理にかなうように変化を加え(または変化を避け)、試行錯誤を繰り返すことが良い結果を生み出します。
結果とプロセスとの相関性をまとめると…
良い実を作ろうとしないと、木を本気(夢中)で育てることはできない。
木を本気(夢中)で育てないと、良い実がならない。
良い実とは、出来の良い実(成功,勝利)に限りません。出来の悪い実(失敗,敗北)も次の糧になるので、生きる上では良い実なのです。次の糧にできるかできないかは、自分の受け止め次第です。
“結果にこだわらないと、プロセスが良くならない”
“プロセスにこだわらないと、結果が良くならない”
ということです。
ただし、一方で、逆のことも言えるので注意が必要です。
“結果にこだわり過ぎると、プロセスが良くならない”
“プロセスにこだわり過ぎると、結果が良くならない”
一見矛盾しているように思えますが、矛盾はしておりません。過ぎることが良くないのです。過ぎるとは、固執すること,囚われることです。
結果は、自信や戒めとして役立ちますが、結果に囚われてしまうと、変化し、成長する機会を失います。過去に囚われたり、縛られたりせずに、 “今を集中して生きること”が重要です。【関連記事 ●人生を楽しむコツは『今,ここに生きる』こと ~今,ここに生きる方法】
プロセスにこだわり過ぎると、いつまで経っても結果が出せなかったり、自分を見失ったり、思いや考えがブレたりする危険性があります。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」孔子(思想家,哲学者)
やり過ぎることは、やり足りないことと同じように良くないという意味です。
私の理想は…
結果にはこだわるが、結果にこだわり過ぎない。
つまり、
結果が出るまでは、結果にこだわる。
結果が出てからは、結果にこだわらない。
少し視点を変えて捉えると、結果とプロセスは、目的・目標・手段とも重なります。
目的 とは、 “最終的に実現したい、目指していること”です。 “最終的にどうなりたいのか(到達点)” 、 “なぜするのか(理由,動機)”ということでもあります。
目標 とは、 “目的を実現するために、すること”です。 “目的を成しとげるために、具体的に何をするのか”ということでもあります。
手段 とは、 “目標を実現するために、すること”です。 “目標を成しとげるために、具体的に何をするのか”ということです。
例えば… 「偏差値の高い大学に入学したい」
目的:有名な企業に入社しやすくなり、高い収入を得たい。最先端の学問を学び、社会に貢献したい。など…【抽象的なもの】
目標:偏差値○○の○○大学に合格する。など…【具体的なもの】
手段:毎日、自宅で3時間勉強する。苦手科目○○の点数を○点上げる。など…【具体的なもの】
目的は、結果と重なります。目的の中身により、すぐに結果が出せるのか、少し時間がかかるのかなど、様々です。
目標は、結果ともプロセスとも重なります。目標を達成するための中間的で具体的なゴールという意味では、結果といえます。目的を達成するための目標が一つではなく、様々な選択肢があるという意味では、プロセスともいえます。違う大学に入学しても、大学に入学できなくても、目的を達成させることはできます。
手段は、プロセスと重なります。目標を達成するための手段は、一つではなく、様々な選択肢が考えられます。
さて、本題です。
強いて言うなら…
あなたは、結果へのこだわりとプロセスへのこだわり、どちらに重きを置きますか。
あなたは、目的や目標を達成するために手段を選びませんか、それとも手段を選びますか。
私は、プロセスに重きを置きます。
そして、目的や目標を達成するために、手段を選びます。
理由は、人生のそのものがプロセスだからです。死ぬまで、ずっとプロセスという名の旅をしているようなものだと考えています。
結果は一時、プロセスは永遠。
結果は、次へのスタート地点です。私たちの営みは、小さな結果の積み重ねでできています。結果は一時のものであり、その他はずっとプロセスだといえます。
また、結果の価値は、手段やプロセスの中身(質)によって決まるとも考えているからです。
例えば、結果として、30万円を手に入れたとします。
目的や使い道は、欲しいモノを買う、借金の返済など様々だとします。
重要なのは、どのようにして得たのかです。ここが、手段であり、プロセスです。自分で働いて稼いだのか、誰かから頂いたのか、ギャンブルで勝ったのか、詐欺をして手に入れたのか、盗んだのか… 自分にある思いや言動、自分の得たモノ,失ったモノ、他人や世の中に与えた影響,残したモノなど、それぞれにおけるプロセスも全く違います。
入学や入社も同じです。自分の実力で入ったのか、誰かの力で入ったのか… 出来レースで勝って、何を得て、何を失うのか。そこで、はたして本当の満足が得られるのか…
自分や他人,世の中の実りにならない手段やプロセス、自分や他人,世の中を大きく傷つけるような手段やプロセスで得られた果実は、毒の果実です。
そして、自分の力で勝ち取った結果と、偶然勝ち取れた結果とでは、価値は全く違います。
例えば、他人に言われた通りにして成功した場合、結果としては良いでしょうが、再現性や実力も含めて、自分で得られた成果として捉えてよいのかどうかは微妙なところです。失敗した場合は、他人の責任にもしがちです。
結果は、実力を反映しない時もあるが、プロセスは実力を反映する。
「本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、しっかり力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う」イチロー[鈴木一朗](プロ野球選手)
今、山頂というゴール(結果)にいます。そこまで、一体どんな方法で、どんな経路でたどり着いたのでしょうか。山の麓から歩いてきたのでしょうか。途中まで車で登ってきたのでしょうか。それとも、ヘリコプターで山頂付近まできたのでしょうか。どんな方法で登りきっても、目で見る景色は同じです。でも、こころで見る景色は全く違うのではないでしょうか。
プロセスによって、結果の味わい方は変わる。
車やヘリコプターが悪いとまでは言いません。ただ、効率よく、一直線にゴールに向かうことだけが良いとは限りません。効率性だけを求め、結果だけを出すのであれば、究極的には、動くこと自体が無駄という考えに至ります。できるだけ動かず、手を抜き、ズルをするのが得策となります。
時間をかけて、汗を流しながら歩き、時には笑い,泣き、休憩や寄り道,迷い道をする中でしか得られないものがあります。この面倒な動きの中にこそ、楽しさ、気づき、学び、感動があり、心に刻まれるような真の思い出が得られるのです。
プロセスは、生きる意味と直結しています。
私が考える、生きる意味のひとつは、自分を究めること(自分らしさを育て、成長すること)=他人,世の中(宇宙)とともに成長することです。【自分と他人,世の中(宇宙)は一体】

図は、自分を究めるためのプロセスです。このプロセスが充実することで、自分や集団の成長(精神性,行動力,社会性,知性,技術の向上)が促され、質の良い生き方という果実に結びつきます。
プロセスで最も重要なことは、 “経験すること”です。
経験をしないと学べないし、変化もできません。また、経験をするためには行動すること(主体性)が必要です。この、行動→経験→学びのラインを起点として、工夫、思考とつながり、また行動へとつながっていくのです。
●自分の天分を究めようとする努力、遊び,楽しみながら思い出を残す。
●他人と気持ちを通わせて思い出を共有する、他人や社会とともに成長する。
充実感とは、成功した時や勝った時にしか得られないものではなく、失敗や苦い経験,負けた時でも得られるものです。
結果の中身よりも…
どれだけ行動できたか(新たなこともできたか,自分らしくできたか)、どれだけ経験できたか、どれだけ楽しめたか、どれだけ本気でできたか(納得がいくまでできたか)、どれだけ心が動いたか、どれだけ他人と心が通じ合えたか、どれだけ思い出に残ったか、どれだけ学べたか、どれだけ変わることができたか、どれだけ考えることができたか、どれだけ自分の心が強くなったか…などの方が重要な意味を持つと思います。たとえ金メダルが穫れなくても、実力を出し切った結果であれば、満足や納得がいくのではないでしょうか。
充実感とは、結果からだけではなく、プロセスの中でも得られるもの。
ひとつひとつの行動に、どういう意味を持たせるのかも重要といえます。 私は、事あるごとに “誰かのためにするのか。何のためにするのか。”を問い続けることにしています。勉強も仕事も家事も、嫌々するのか、楽しみを見つけてするのか… 私の捉え方次第です。

私は、
手間ひまというプロセスを磨き上げ、
自分や集団,世の中の根っこ,幹,枝,葉っぱを元気で大きなものに育て、
美味しい果実を実らせたい。


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