ゴミを拾う人、捨てる人

★投稿修正★ 2024年9月28日 by a-NEN




人は、4つのタイプに分けられるのではないでしょうか。

  • ゴミを捨て、街を汚す人。
  • ゴミは拾わないが、捨てない人。
  • ゴミを拾い、街をきれいにする人。
  • ゴミが捨てられない仕組みをつくる人。

 ゴミを捨てる人は、減らせたとしてもゼロにはならないでしょう。大事なのは、4タイプの割合だと考えます。

 捨てる人が大多数となれば、どうなるだろう。

 拾う人が激減すれば、世の中はどうなるだろう。

 捨てる人をたしなめる者が減ると、どうなるだろう。

 ゴミ捨て問題に無関心な人が増えるとどうなるだろう…

 私は、ゴミを捨てる人が嫌いです。

自分さえ良ければいい”、
自分の後始末を他人にさせればいい”という意識
に支配されているからです。

 はたして、自分の部屋や家の中でも、ゴミを床に捨てるでしょうか。おそらく、捨ててはいないでしょう。(※自分の部屋や家の中でもゴミを捨てている人には、別の支援が必要です)

 自分の部屋や家だけを自分の住処(すみか)として考えるのか、街や地域も含めて住処として考えるのか…
時々、自分のよく知る街のことを「私の庭のようなものだ」と言うことがあります。文字通り、街を自分の庭だと考えれば、ゴミは捨てることができないのではないでしょうか。

 そもそも、ゴミとの向き合い方は、いつ、誰から、どうやって教わるのでしょう。

 子どもの時には、保護者や身近な大人から教わるはずです。
自分のゴミは自分でゴミ箱に捨てる、汚したら自分できれいにする…という当たり前のことを。
そして、なぜ自分でそうじをするのか…ということを。
学校でもそうじの時間というものもありました。
教わることがなかった人もいるのでしょうか。教わったけれど、受け入れなかったのでしょうか。人任せにするのは「ダメなことだ」と注意されたことがなかったのでしょうか。

 大人になってからでも、周りに、たしなめてくれる人がいれば、ダメだと気づけるはずです。
 自分の大切な人が、ゴミとの正しい向き合い方ができていない場合に、「良くない」とはっきり伝えることが大事です。相手に伝えず、良くないことだと自分で思えるだけでも良いのかもしれません。ただ、心の中で思うだけで、行動を起こさないのは、愚行を黙認していることと同じとも言えます。
 恥ずかしながら、以前、私は、愚行を目の当たりにしながら、その方が日頃からお世話になっている目上の人だったため、気後れしてしまい思いを伝え損ねたことがあります。その方は、お亡くなりになられたので、もう伝えることはできず、こころ残りとなりました。

 少し、視野を広くしてみます。
 地球を自分の住処としてとらえることはできないでしょうか。
 なぜなら、私たち人間も、他の動植物と同じく、住処を地球から間借りしているからです。

人類さえ良ければいい”、
人類の後始末を放っておいてもいい” という意識
に支配されていないでしょうか。

 私もそうですが、私たちは、この世の中は人間のものだと勘違いしがちです。

 私たち人間は、自然や他の動植物から多くの恵みをいただいています。その感謝をよそに、汚してしまった自然、壊してしまった生態系に対して、私は何をすべきなのだろうか。SDGsの環境問題編も、単なるスローガンではなく、私たちがまさに、今、日々できることを行うべきだと痛感します。

 「自分(や人類)さえ良ければいい」という考え方は、私と他者・公(地球)との関係性をいびつにします。自分は、相手や社会(地球)には尽くさないが、相手や社会(地球)からの恩恵は受けたいという身勝手な考え方と言えます。社会性が希薄しているとも取れます。【興味深い別サイト(名無き仙人の物語)】

自分勝手がすべての崩壊につながるようだ

 小説家・中山あい子さんの言葉です。
シンプルな言葉ですが、とても深く、考えさせられます。

 視点を少し変えます…
 4タイプにおける“ゴミ”の部分は、他の事柄にも置き換えられることに気づきました。

例えば…
 いじめ、暴力、戦争(紛争)、違法(不正)行為、公害(人災)、ハラスメント (嫌がらせ、迷惑行為)…

 様々な課題ごとに、私たちには、4タイプが問われているのかもしれません。
 一番恐ろしいのは、無関心

 日本には、「おたがいさま」という素晴らしい言葉があります。
 私たちは、相手や社会に対して可能な限り配慮はしていても、結果的には、お互い迷惑をかけ合って、助け合って生きています。
 自分のことだけしか考えられないのか、他人や世の中(世界や地球)のことも考えられるのか。この違いは大きいと言えます。

 私たち人間には、考える能力、想像する能力があります。
 世の中の様々な課題に対して、知恵を寄せ合い、工夫や努力を重ねて、解決していける力が私たちにはあると信じたい。

ゴミは、拾う人がいるから、街がきれいなのです。

私は、ゴミとどう向き合っているだろうか。

私は、どんな人でありたいのだろうか。
    

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