★投稿修正★ 2024年11月17日 by a-NEN
人は、4つのタイプに分けられるのではないでしょうか。
- ゴミを捨て、街を汚す人。
- ゴミは拾わないが、捨てない人。
- ゴミを拾い、街をきれいにする人。
- ゴミが捨てられない仕組みをつくる人。
ゴミを捨てる人は、減らせたとしてもゼロにはならないでしょう。大事なのは、4タイプの割合だと考えます。
捨てる人が大多数となれば、どうなるだろう。
拾う人が激減すれば、世の中はどうなるだろう。
捨てる人をたしなめる者が減ると、どうなるだろう。
ゴミ捨て問題に無関心な人が増えるとどうなるだろう…
私は、ゴミを捨てる人が嫌いです。
“自分さえ良ければいい”、
“自分の後始末を他人にさせればいい”という意識に支配されているからです。
はたして、自分の部屋や家の中でも、ゴミを床に捨てるでしょうか。おそらく、捨ててはいないでしょう。(※自分の部屋や家の中でもゴミを捨てている人には、別の支援が必要です)
自分の部屋や家だけを自分の住処(すみか)として考えるのか、街や地域も含めて住処として考えるのか…
時々、自分のよく知る街のことを「私の庭のようなものだ」と言うことがあります。文字通り、街を自分の庭だと考えれば、ゴミは捨てることができないのではないでしょうか。
そもそも、ゴミとの向き合い方は、いつ、誰から、どうやって教わるのでしょう。
自分の憂さ晴らしのために、わざと他人に迷惑をかけている人は論外として…
ゴミとの向き合い方は、子どもの時に、保護者や身近な大人から教わるはずです。
自分のゴミは自分でゴミ箱に捨てる、汚したら自分できれいにする…という当たり前のことを。
そして、なぜ自分でそうじをするのか…ということを。
学校でもそうじの時間というものもありました。
「自分のことを、人任せにするのはダメなことだ」ということを教わることがなかったのか、教わったけれど受け入れなかったのか。
子どもの頃の課題として考えられるのは、習慣です。習慣とは、無意識の行動です。入浴をしたり、歯を磨いたりするのと同じように、自分のゴミを処理する習慣が身についていないということ。逆に、自分で処理をしないという悪い習慣が染み付いているとも考えられます。悪意や後ろめたさが無いので、ある意味厄介ですが、改善の余地はありそうです。子どもの頃からの習慣というのは、大人になっても引き継がれる強固なものだと思います。 “鉄は熱いうちに打て”
大人になってからでも、周りに、たしなめてくれる人がいれば、ダメだと気づけるはずです。
自分の大切な人が、ゴミとの正しい向き合い方ができていない場合に、「良くない」とはっきり伝えることが大事だと考えます。相手に伝えず、良くないことだと自分で思えるだけでも良いのかもしれません。ただ、心の中で思うだけで、行動を起こさないのは、愚行を黙認していることと同じとも言えます。
恥ずかしながら、以前、私は、愚行を目の当たりにしながら、その方が日頃からお世話になっている目上の人だったため、気後れしてしまい思いを伝え損ねたことがあります。その方は、お亡くなりになられたので、もう伝えることはできず、こころ残りとなりました。
「過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ」 ネイティブ.アメリカン オマハ族の言葉
少し、視野を広くしてみます。
地球を自分の住処としてとらえることはできないでしょうか。
なぜなら、私たち人間も、他の動植物と同じく、住処を地球から間借りしているからです。
“人類さえ良ければいい”、
“人類の後始末を放っておいてもいい” という意識に支配されていないでしょうか。
私もそうですが、私たちは、この世の中は人間のものだと勘違いしがちです。
私たち人間は、自然や他の動植物から多くの恵みをいただいています。その感謝をよそに、汚してしまった自然、壊してしまった生態系に対して、私は何をすべきなのでしょうか。SDGs環境問題編も、単なるスローガンではなく、私たちがまさに、今、日々できることを行うべきだと痛感します。
「自分(や人類)さえ良ければいい」という考え方は、私と他者・公(地球)との関係性をいびつにします。自分は、相手や社会(地球)には尽くさないが、相手や社会(地球)からの恩恵は受けたいという身勝手な考え方と言えます。社会性が希薄しているとも取れます。
「自分勝手がすべての崩壊につながるようだ」
小説家・中山あい子さんの言葉です。
シンプルな言葉ですが、とても深く、考えさせられます。
【参考記事:「自分勝手な人の末路とは?その特徴&対処法も解説」■別サイト「人生の悩みと疑問に迫る sunpuさんのサイトです」】
視点を少し変えます…
4タイプにおける“ゴミ”の部分は、他の事柄にも置き換えられることに気づきました。
例えば…
いじめ、差別、暴力、戦争.紛争、違法.不正行為、公害.人災、ハラスメント (嫌がらせ、迷惑行為)…
様々な課題ごとに、私たちには、4タイプが問われているのかもしれません。
一番恐ろしいのは、無関心…
「この変革の時代における最大の悲劇は、悪人の執拗な暴言ではなく、善人の沈黙であったことを
歴史は記録しなければならないだろう」マーティン.ルーサー.キング.Jr 牧師
日本には、「おたがいさま」という素晴らしい言葉があります。
私たちは、相手や社会に対して可能な限り配慮はしていても、結果的には、お互い迷惑をかけ合って、助け合って生きています。
自分のことだけしか考えられないのか、他人や世の中(世界や地球)のことも考えられるのか。この違いは大きいと言えます。
私たち人間には、考える能力、想像する能力があります。
世の中の様々な課題に対して、知恵を寄せ合い、工夫や努力を重ねて、解決していける力が私たちにはあると信じたい。
ゴミは、拾う人がいるから、街がきれいなのです。
私は、ゴミとどう向き合っているだろうか。
私は、どんな人でありたいのだろうか。
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