★投稿修正★ 2024年10月10日 by a-NEN
私は、ラグビーをよく観戦します。ラグビー経験者ではありませんが、すごく引き込まれます。(ルールを覚えるのには、少し時間はかかりましたが)【ルールの参照「J-SPORTS」】
鍛え抜かれた生身の体がぶつかり合う迫力。相手を置き去りにする華麗なステップや快速なラン。観る者を魅了するアイデアに富んだパスワークやキックなど… なんとなく観ているだけでも楽しいのですが…
身体の小さな選手が勇気をもって大きな選手にタックルする。チームに実力差があっても、自分たちを信じ、仲間と力を合わせて果敢に挑む姿など…
どうやら、自分の生き方や世の中と重ね合わせて観ているようです。
今回は、ラグビーから学べることを整理してみました。
協働によりゴールをめざす
ラグビーは、得点のために、チームメイトとボールをつないでいくスポーツです。全員で攻め、全員で守る。協力し合い、助け合う、チームの総力が求められます。スター選手によるスタンドプレーだけで勝てるものではありません。
チームにとっての最良のプレーとは何か。その時、自分はどんな役割を果たすべきか。自分の役割を怠るとチームメイトに負担をかけ、敗因となることもあります。責任と向き合うことになります。
たとえ、試合に出ていなくても、チームのためにできることは何かあるはずです。
自分だけが主役ではなく、いかにして、チームメイトを活かし、チームメイトに活かされるか。そのためには、互いに人として認め合い、尊敬し合い、仲間を思いやる。その継続が信頼を生み、結束を生むのだと思います。がっちりと組まれたスクラムは、団結力の象徴です。トライは、特に、チームみんなの思いが詰まったもの。トライが決まった時の様子を観ると、サポートした仲間の方が嬉しそうにしているようにも見えます。
良いチームとは、「この仲間と一緒に何かを成し遂げたい」、「この仲間と喜びを分かち合いたい(時には悲しみも‥)」という思いで満ちているのではないでしょうか。
ラグビー経験者は、口をそろえて「ラグビーで生涯の仲間を得た」と言うそうです。
会社の功績も、社長やエース社員だけによるものではなく、裏方も含め、様々な人の支えがあってこそのものでしょう。うまくいかなかった時は、またみんなで乗り越えればいい。今、自分がするべきこと、自分にできることとは何か。山積する社会課題も、役割分担と協働により、解決していくことができると私は信じています。
私たちも、今、情熱を傾けている世界で生涯の仲間を得ようではありませんか。
多様性に富んだ仲間との協働
ラグビーは、性質が異なる個性豊かな仲間で力を合わせるというスポーツでもあります。
多様性の1つはポジション。
15人制だとポジションは15で、それぞれに役割があります。【ポジションの参照「J-SPORTS」】
選手は、身体の大きさ・力強さ・足の速さなど様々ですが、必ず向いているポジションがあり、適材適所バランスよく配置されます。フォワードの最前列をフロントローと呼びますが、彼らはスクラムをはじめ、常に最前線でボールをキープするために身体をぶつけ合います。力強さが求められるため、身体が大きく、重量級の選手が担います。(他のポジションの選手では代わりが効かないため、専門職とも言われています)
一方、フォワードとバックスとのつなぎ目にいるスクラムハーフは、常に密集に駆けつけ、素早くパスやキックでボールを動かすことが求められます。背が低く、身軽な選手でも活躍できるポジションです。
メンバー間では、自分にない能力を持ったチームメイトに対するリスペクト(称賛、敬意)が生まれるそうです。
話すことは苦手だけれど、資料作りが得意な人。手本となり指導することは難しいが、指導で他人の力を借りたり、指導相手の力を引き出したりして、人を育てることができる人…など、得手不得手は様々です。性格の違いや好き嫌いはあっても、リスペクトのもと、それぞれが特性を活かし合い、同じゴールに向かって協力し合うことができれば、ALL.HAPPYなのではないでしょうか。
もう1つの多様性はチームメイトのルーツ。
国の代表資格は、出生や血縁だけではなく、居住実績も条件となっているところが大きな特色です。長らく生活を送った地域への愛着というところでしょうか。(居住実績の条件は、植民地政策という負の遺産から生まれたものですが、現代においては、プラスに活用することができます) 【代表資格の参照「ダイアモンドスケジュール」】
そのため、様々なルーツの選手で構成されることも多く、互いの文化や価値観を交流させながら関係性を深めることになります。ラグビーには、議論する文化があり、互いにはっきりと主張し合い、必要であれば意見を衝突させるそうです。新しい価値観に触れ、新しいものの見方を得る機会ともなり、互いの成長につながっているようです。
性別(性的指向含む)、年齢、国籍や出身地、人種(肌の色)、民族(日本も単一民族ではない)、宗教、学歴、職歴、病気、障害の有無などによる、偏見や差別はないでしょうか。多様性の良い部分を活かせているでしょうか。
また、世界に目を向けると、紛争が絶えません。紛争のきっかけは様々ですが、渦中にいる者同士が自ら、相互理解の道を切り開くのは難しいかもしれません。戦争を乗り越え、かつての敵と親交を深められている、我われ第三者が、何かの力になれることもあるように思います。(例えば、日本文化の何か?を活かして…)
フェア精神で規律を守る
ラグビーは、ルールを守らないと大怪我を招く恐れのあるスポーツでもあります。他のどのスポーツよりも、反則を犯した際のペナルティーが重く課されていると、私は思います。特に、危険なプレー、相手を妨害するプレーなどの重い反則の場合はとても重く、ペナルティーを受けるとかなり不利な状況になります。
故意に、相手を怪我させようとする気持ちも、規律の中で自らを律することになります。人間性が試されるということです。とにかく、フェアに、正々堂々と戦う。ズルは許さない、恥ずべき行為だということです。
また、ラインアウトやスクラムも、相手にもチャンスを与えるような仕組みとなっており、これもフェア精神を示したルールといえます。
法律やモラルなどルールを守っているでしょうか。反則を犯した際に、自らに重いペナルティーを課しているでしょうか。罪に問われなければいい?、バレなければいい? 不祥事を起こした際の組織の内部調査はどうでしょうか。
ルールは、公平に運用されているでしょうか。政治家をはじめとした権力者に甘い運用となっていないでしょうか。悪いことをしても、隠し、誤魔化し、責任を取らないような状況になってはいないでしょうか。
良心に背き、ズルをするような生き方は避けたいですね。
自分の利益のために、ライバルを騙したり、おとしめたりはしていないでしょうか。そこで得られた成果に胸をはれるでしょうか。ライバルと健闘を称え合い、握手ができるでしょうか。
さらに、失敗をした人に、再び挑戦できるチャンスを与えているでしょうか。個人としても、社会としても…
やり直しができない社会は、息苦しく、包容力がないように感じます。
フェア精神で規律が守れているか、時々、自分に問うことが大切だと思います。
全てに対するリスペクト・良いゲームの共創
何のためにゲームをするのか。もちろん、仲間とともに勝利するためです。
ただ、それだけではなく、相手チーム、レフリー、コーチ等全スタッフ、観客も含め、みんなで良いゲームを創るという思いもあるようです。試合で、勝利以外に得るもの。それは、互いに力を出し切り、人のこころを打つこと。結果的に、試合に負けたとしても、納得のいくラグビーができれば、価値あるものと言えるでしょう。試合は、また次もあり、未来に続いていきます。
「勝った負けたではなく、試合をどう戦ったかだ」グラントランド.ライス (スポーツライター)
みんなでPLAYする(楽しむ)。確かに、観客をよく観ると、両サポーターが入り交ざって観戦しており、時々、敵味方関係なく肩を組んで楽しんでいる光景があります。ゲームとは、まさにエンターテイメントのツールです。
自分だけがハッピー、自分のチームだけがハッピーになればいいという気持ちでは、良いゲームは創れません。
リスペクトは、チームメイトに対してだけではなく、相手チーム、レフリー、コーチ・スタッフへも向けられます。どれだけ大量点を取ってリードしていても、最後まで手を抜かずに戦う。この姿勢もリスペクトの現れでしょう。リスペクトとは、関わるすべての人への感謝にも近い感覚かもしれません。試合は、自分ひとりでは、できませんからネ…
ラグビーを象徴する精神に、ノーサイドという言葉があります。ノーサイドとは、ゲームセットになれば、敵味方のサイド(垣根)がなくなるということです。どんなに激しく戦ってもゲームが終われば敵味方なく称え合う。そこに、すべてを超えた友情が生まれます。
ラグビーには、試合後にアフターマッチ・ファンクションという催しがあるそうです。両チーム関係者、レフリーなども交え、飲食をしながら試合について語り合い、友情を深めるものだそうです。この場では、相手チームを称え、レフリーやコーチ,スタッフへ感謝の気持ちを伝えるスピーチがあります。この催しに感銘を受けます。ラグビー関係者の成長を促し、ラグビー文化の価値を高めていっているように感じます。
競技を通して、すべての関係者を認め合える、勝ち負けを超えたところにも価値を見出せる。これは、スポーツの醍醐味かもしれません。
たとえ、試合に負けても、得られるものはあり、他人へ与えるものがある。逆に、試合に勝ち、いくら強くても、チームや個人の振る舞いがリスペクトに値いしなければ、それは…
何のために生きているのか。人生をひとつのゲームとして見立てた時、勝っている(うまくいっている)時、負けている(うまくいかない)時、どちらもあるでしょう。ゲームは、勝ったり、負けたりを繰り返しながら、死ぬまで続きます。死ぬ時は、人生のゲームセット。死ねば、みな、ノーサイドです。
どんな人たちと、何を成し得ていくのか。そこで、どんな物語ができ、何を感じ合うのか。
私は、できるだけ清々しいPLAYで、たくさん感動し合えるような生活をしていきたいと思います。
人生と重なる もろもろ…
パスは、ボールを後ろに戻しつつも前進していきます。何度も攻撃の起点をつくり、アタックを繰り返す。結果とリスタートの繰り返し。人生も、時折、戻りつつも、前進していきます。また、見事なキックで一気に前進し、トライにまでつながる場合もあります。人生も、発想の転換や新たな手法で一気に前進することがあります。
パスをつなぐことは、協働以外に、継承も連想させます。先輩やベテランから後輩や若手へ、先人から私たちへ、私たちから未来の人へつなぐバトン…
タックルでは、怖さに打ち勝つ勇気が試されます。人生も、壁にぶち当たった時に、勇気が試されます。ただ、人生においては、自分ひとりだけでタックルにいかない勇気や決断が必要な場合もあります。(他人の力を借りる)
どこに転がるか分からない楕円形のボールは、運を連想させます。人生も、幸運な時もあれば、不運な時もあり、予測不能な部分があります。ただ、蹴り方次第でボールの転がし方はコントロールできる部分もあるらしく、人生においても、運を引き寄せるコツのようなものはありそうです。
ラグビー精神は、脈々と受け継がれてきましたが、1997年に、国際機構により明文化されました。そして、2009年に5つのコアバリュー「品位・情熱・結束・規律・尊重」が追記され、現在に至ります。
「ワールドラグビー・ラグビー憲章(The World Rugby Playing Charter)」と呼ばれ、ラグビー文化はこれを体現化していると言えます。
【ラグビー憲章の参照「公益財団法人 日本ラグビーフットボール協会」】
私たちは、どんな仲間と、どんなゴールを目指すのでしょうか。
どれほど、一緒に喜び、涙することができるのでしょうか。
◆参考図書:廣瀬俊朗 著「ラグビー知的観戦のすすめ」 角川新書 2019年
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