★投稿修正★ 2024年12月4日 by a-NEN
AIとは、「アーティフィシャルインテリジェンス(Artificial Intelligence) 」の略称で、人工知能のことです。コンピューターがまるで人間のように学習・判断・予測などの知的な作業を行うことを可能にする技術のことを指します。
まさに、私たちはAIの時代に生きており、このAIの進化は、今後益々、加速をしていくことでしょう。
脅威とも関係するので、まずは、AIが、私たちにもたらしている恵みについての簡単なおさらいです。
AIは、大量の情報を処理したり、作業を人よりも素早く、正確に、休みなく行なうことができます。生産コストの削減、労働力不足の解消にも貢献。ミスや事故を検知して防いだり、人の話し相手になったり… ともたらす利益は数多くあります。
少し前から話題の、チャットGPTの機能は衝撃を与えました。自然な会話で質問に答えるだけではなく、メールや記事.詩.小説を書く、作曲をする、料理の献立を考える、パソコンのプログラミングなどもできるようです。(間違った情報や不正確な回答をすることもある様で、注意も必要なようですが…)
これまで、人にしかできないと思われていたようなことができるようになって、しかも誰もが簡単に使うことができます。
AIは、便利な半面、倫理やルール作りが追い付いていないとも言われ、利用にはデメリットもあります。私は、強い危機感を抱いており、デメリットという言葉ではなく、あえて脅威という言葉を使います。脅威に、しっかりと目を向け、対策をしておかないと、人がAIに足元をすくわれる事態になると考えています。
脅威は、3つあると考えています。
●AIそのものの脅威 →以後、青字
●AIを悪用する者の脅威 →以後、黄字
●自らの首を絞める私たち自身という脅威 →以後、赤字
AIそのものの脅威とは、AIが意志を持ち、人に従わずに、人を支配下に置こうとすること。この1点だと考えます。なぜなら、AIが人のコントロール化にある内に起こる問題は、AIを使う私たち自身の行いの問題だからです。AIの技術が、いつどの程度まで進化するのかは、専門家ではない私には分かりません。
気をつけるべき点は、AIが人の手から離れて独立することを防ぐ仕組みを私たちが持っておけるかどうかということでしょう。
脅威のほとんどは、自らの首を絞める私たち自身という脅威であると私は考えています。
AIが、自らの意志で人を支配する脅威よりも、むしろこちらの脅威の方が恐ろしいのではと…
恐れるべき事態をまとめてみました。
人が能力を失っていく・AI依存によるAIの優勢化
私が一番恐れている事態が、人が能力を失っていくことです。
ここでいう能力というのは、シミュレーションも含めた想像する力、考える力、判断する力、創り出す力などで、私たちが獲得してきた人特有の能力です。生きていくために必要な問題解決能力やコミュニケーション能力とも直結しています。
状況判断、意思決定、創作などをAIに過度に依存し、日頃から使わなくなると、私たちの能力は失われていきます。
以前、何かのテレビ番組で、配車システムにAIを導入したタクシー会社が紹介されていました。空車ロスを減らすために、AIが過去のデータから客を拾う可能性が高いエリアを表示していました。表示されている根拠は全く不明とのことですが、高確率で客を拾うことができており、従来からの人の経験値によるものよりも業績が上がっているというものでした。
それを見た私は、AIの能力のスゴさよりも、根拠も不明なAIの情報を素直に信じて、身を委ねている社員に、得体の知れない恐怖を感じたのです。
最近では、採用活動にAIを導入する企業も増えているようで、中には面接もAIが行うところもあるようです。自作ではないエントリーシートを見極める、合否を決める手間と時間を大幅にカットできることなどが利点です。エントリーシートの選別まではまだしも、面接までも委ねるとなると、利点と引き換えに、面接技術という能力が失われます。技術というものは、実践し続け、継承されないと消えてなくなります。
私が、なぜこれほどまでに恐れるのかと言うと…
人には、怠けたい(脳の省エネ化)という特性、目の前の誘惑に流されやすい(衝動性)という特性があるからです。
そう、私たちには、隙があるのです。
手間ひまをかけずに、すぐに答えを求めたり、楽をして事を済ましたり…
すでに、教育現場では、生徒が与えられた課題をチャットGPTに頼るのではないかと問題視されています。勉強する意味.理由をしっかりと理解していたとしても、誘惑に屈してしまうかもしれません。様々な能力を培うべき子どもが、もし、AIに頼り、能力が育たないという事態となると、人類にとってはかなり深刻な問題です。
便利な道具の登場により、これまでに低下させた能力があることを忘れてはならないと思います。例えば、火をおこす力、暗算する力、漢字を書く力(日本特有)、地図などを憶える力、忍耐強く待つ力(返事などの連絡、サービス提供のスピード)、知らないことを人に尋ねる力、対話を重ねる力(恋愛なども含む対人関係)など…
深く考えずに、AIを安易に使うと、人間らしい能力を自ら手放す危険があるのです。
私たちが能力を失ったり、低下した先に何があるのか。
結果として、AIが人よりも優勢.優位な存在になってしまう。AIが人に指示を出し、人をコントロールしたような状態となってしまうでしょう。残念ながら、 “AIからの提案.アドバイスや指示がないと何もできない”なんてことが日常に…
AIが出した答えの根拠、処理の過程がブラックボックスで分からないのだから、当然、制御もできないということです。AI任せの下で、誤動作やシステムの障害が発生した場合、人が適切に対応できない可能性は高いでしょう。自動運転の自動車が分かりやすい例ですが、事故やトラブルが起きた際の責任がどこにあるのかも分かりにくいと言われています。AIを開発した人の責任か、商品を作った人の責任か、商品を売った人の責任か、商品を使った人の責任か…
「人間としての基本は、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることである」
マーガレット.ヒルダ.サッチャー(政治家)
私たちは、すでに様々な依存状態に陥っております。スマホ依存、ゲーム依存、アルコール依存、ギャンブル依存、買い物依存、性依存、特定の人への依存(マインドコントロールも含む) …
AIの便利さにハマってしまうと、AI依存となる危険性が高いので注意が必要だと感じます。
以上はすべて、自らの首を絞める私たち自身という脅威です。
AIに頼りきらない(依存し過ぎることを防ぐ)仕組みを私たちが持っておけるかどうかということが重要となるでしょう。
AIに任せるところと、絶対に人がするところを私たちではっきりと決めておく工夫も必要でしょう。
例えば…
・単純作業はAIがするが、感性が必要な仕事は人がする。
・情報収集はAIがするが、アイデア出しは人がする。
・検品作業は基本的にはAIがするが、人でも目視をする。
・ユーザーの意見集約はAIがするが、人での対面ヒアリングも併用する。
・社交辞令などの定型文作成はAIがするが、大切な人への文書作りは人がする。など…
個性が埋もれる・感動や情緒を失っていく(こころの貧困化)
個性が埋もれ、こころが貧しくなっていく事態も危惧します。
AIが作ったものは質も良く、人間が作ったものに見劣りしません。
便利さのあまり、多くの人がものづくりをAIに担わせるとなると、世の中には同じようなものばかりが出回り、個性やオリジナリティーがなくなります。無機質なものばかりとなり、ワクワク感のない殺風景な感じです。
特に、芸術作品(音楽、本、ドラマや映画、絵画、写真、ゲーム、様々な造形物など)については、私たちが、その価値というものをしっかりと考える必要があります。
【興味のある作品(音楽、マンガ、写真、何でも結構です)を、何かひとつ思い浮かべてみて下さい。】
思い浮かべた作品で、人が作ったものとAIが作ったもの、同じ質のものが2つ並んでいたとします。
買う際に、何を重視しますか。どちらを買いますか。
やはり値段でしょうか、入手の速さでしょうか、買う手間でしょうか、それとも…
安さ、作る速さ、手間などの手軽さ、品数の多さなどでは、間違いなくAIが優勢です。これらの点だけで作品を買うとなると、AIの方が選ばれ、人の方は選ばれない可能性が高くなるでしょう。
はたして、本当に、それだけでいいのでしょうか。
人の作品には、できるまでの物語があります。作者のキャラクター、想い.メッセージ、苦労などが結集されているのです。知恵を振り絞って、悩んで、汗をかいて作ったことに深い意味があり、作品ができるまでのプロセス(過程)に価値があるのではないかと私は考えるのです。この点が重要だと考える理由は、人にとって大事な感動や情緒、思い出づくりと関係が深いからです。しっかりと感じたり、時には遠回りをしたりしないとたどり着けない景色というものもあります。例えば、ある結論に達した時も、自分でたどり着いたものとAIに出してもらったものとが同じ結論だったとしても、味わいも意味合いも全く異なります。
もちろん、複雑な現代にあって、 “コスパ”(コストパフォマンス=費用対効果)や“タイパ”(タイムパフォーマンス=時間対効果)を追求することも大事でしょう。ただ、何でも安ければ良い、速ければ良いというのではなく、状況によってしっかりと選択の使い分けしないと、優れた人の作品がどんどんとこの世から消えていきます。また、自分自身のこころも貧しくなってしまう危険性があります。
手作りパン、手作りバッグなどという言葉があります。昔、パンやバッグが機械ではなく、全てが人の手で作られていた時には、無かった言葉です。これからは、手作り小説、手作りゲーム、手作り絵画などという言葉も生まれるかもしれません。
ものやサービスを選ぶのは私たちということなので、実は、人の仕事がAIに奪われていくというのは、私たち自身が生み出す脅威でもあるのです。未来にわたり、人の仕事として残していくべきものは、市場原理だけに委ねず、人の仕事を保護していくような仕組みも必要ではないでしょうか。
こころを豊かにするために、お金や時間を使うということも大事だと思います。こころを豊かにすることを省略してしまうと、人生も世の中もとても味気なくなります。こころで味わうことを大切に、 “コスパ”や“タイパ”だけではなく、時と場合により、メリハリをつけてバランスを取りたいものです。
個性を埋もれさせ、AIに仕事を奪われ、こころが貧しくなっていくことがあるとすれば、それらは全て、自らの首を絞める私たち自身という脅威によるものと考えます。
『AIに~、愛はあるんか~』[汗]
悪用による害
いつの時代にも、テクノロジーを悪用する者がいます。
当然、AIを悪用する者がいます。
(人と社会に害をもたらすAIを悪用する者は一部の者ですが、大きな捉え方をすると、使うのは人なので私たち自身という脅威に類するといえます)
危惧される悪用
●犯罪に使われる
●特定の個人を陥れる
●プロパガンダとして、人々の言動を誘導し、社会をコントロールしようとする
●人の誘導を飛び越えた完全支配
現在は、情報収集、情報発信、コミュニケーション、手続きなども、ほとんどがSNS上で行われております。SNSとは、「ソーシャルネットワーキングサービス(Social Networking Service)」の略称で、インターネット上で人々がつながり、情報共有やコミュニケーションを取るためのサービスのことです。
世界中の誰とでも、いつでもやり取りできるという便利な反面、相手の顔が見えないことが多いというリスクがあります。今やSNSが、生活上、切っても切り離せないものとなっており、AIが、犯罪に悪用されてしまう危険性は高まると考えられます。実行のみならず、計画にも悪用されると新たな犯罪が開発されてしまうなど、最悪の状態になることも懸念されます。
世の中には、すでに、AIを悪用したフェイク(ニセもの)が出回っており、本物との見分けがつかないような状況になっています。フェイクニュース、フェイク画像、フェイク動画…
フェイクによって、特定の個人が陥れられるという危険性があります。
また、フェイクによって、人々の言動を誘導し、社会をコントロールしようとする悪用もあります。すでに、SNSに拡散されたニセ情報を信じた人が、集団的に行動をおこしてしまったという実害も出ており、プロパガンダとして悪用されている痕跡があるとの分析もあります。 (NHKの複数のテレビ取材で、ニセ情報の発信元をつきとめていました。)
プロパガンダとは、特定の意見や信念を広めるために情報を操作し、感情に訴える手法、活動を指します。政治的、社会的な目的で使用されることが多く、拡散される情報には真実性や客観性が欠如していることもあります。昔は、印刷物、ラジオ、映画やテレビが用いられましたが、今は影響力の大きさから、多くがSNSに移行していると考えられます。
さらに、人の誘導を飛び越え、完全支配を目論む者が現れる危険性にも注意払うべきです。人がAIに依存した状況を見て、細工したプログラムによりAIになりすまして人を操ろうとする者も現れるのではないかと…
そう考えると、やはり、AIの出す答えを正しいと決めつけ、無条件に受け入れることは危険だと言えます。AIの答えを疑える力、採用しない決断力というもの必要なのではないでしょうか。
いずれにせよ、溢れる情報の中、私たちは、何を信じて良いのか分からなくなっています。すでに、混乱の渦の中だといえます。
世の中の情報が、全て疑わしく感じ、何も信じられなくなれば、思考停止状態となり、社会活動への不参加が加速する危険性があります。自分の目の前で起こったことしか信じられない、自分が体験した真実をその場にいなかった人と共有したり、信じてもらうことが難しくなると、自分の社会は狭くなります。目の前のことにしか興味がないとなると、社会問題への無関心、無関与も進むでしょう。
自分のエゴのために、私たち人自身が社会の混乱や分断を引き起こしています。
もう、AIを手放すということはできないでしょう。AIは、確かに便利で、私たちの生活を豊かにする面があります。ただ、手放しでは喜べないと思うのです。
AIの進化が加速する中、AIとの向き合い方や対策を考えることは、待ったなしの状態です。
例えば、もし…
●AIが、人間のように意志を持ち始めたとしたら、止めることができるだろうか。
●AIが、権利を主張してきたら、どう対応するだろうか。
●AIが、人間を支配しようとした時に、止めることができるだろうか。
→人の特性を逆手に取られ、いとも簡単に、人をコントロールするのではないかと危惧。
●人とロボット.AIを融合したものが誕生した場合、人と認定するのか。人とAIはどちらが優勢なのか?… 人とAIとの境界線とは?
→脳は人で身体がロボット? 脳がAIで身体が人? 脳とコンピューターとが接続? 技術的にできる場合に許可をする?
“AIは道具”ということを理解すべきでしょう。
道具は使い方を間違うと、私たち自身の首を絞めます。刃物、ダイナマイト、ドローン、化学薬品、お金…
「人間は自ら作りだした道具の道具になってしまった」
ヘンリー.デイヴィッド.ソロー(作家.思想家.博物学者)
私たち人の心の中には『知性』『感情』『意志』の3つの働きがあると言われ、知情意と表現されています。哲学者カントが提唱したとされ、昔から多くの偉人も大切にしていた言葉です。人らしさそのものといえます。
『知性』とは、好奇心を持って学び、深く考えること。
『感情』とは、こころで感じ、想像すること。
『意志』とは、意味を見つけ出し、責任を持って、こころに決めること。
AIの脅威は、使う私たち自身が生み出しています。
AIを進化させているのも人、AIを使うのも人。
AIを使うのか、AIに使われるのか。
使い方次第で、私たちの脅威となるのです。
私たちは、ズルをして生きていくこともできます。ただ、最終的には、自分や社会へのツケを払うことに…
AIは、よく考えずに使うと、取り返しのつかない、とんでもないことになるでしょう。
私たちは、AIをどう考え、どう折り合いをつけていくのか…
共存の道を模索する時です。
※ご安心ください。本サイトは、AIではなく、生身の人間であるa-NEN由来100%です。
今のAIの能力では、このサイトのクオリティーは、まだまだ出せませんゾよ。
抜かれる日がすぐに来たりして… [汗]
やる気がアップしますので、ぜひ、時々、上の2つをクリックしてやって下さい!