何のために学ぶのか

★投稿修正★ 2026年2月27日 by a-NEN





あなたは日々学んでいますか



 大いに学んでいるという方、あまり積極的には学んでいないという方、様々かと思います。
丁寧に見てみると、生きている以上、多かれ少なかれ学んではいるはずです。

 では、誰かからこう聞かれたら、あなたは何と答えますか。

何のために学ぶのでしょうか

 はっきりと答えられるでしょうか。
 難しい問いであるかもしれません。この問いは、とても大事でありながら、普段、あまり深堀されていないものです。中には、学ぶこと自体に興味がない方、あまり価値はないと考えている方などもおられるかもしれません。

 正直なところ、私は、まだ自信を持って答えられるまでには至っていません。今回は、現時点での答え、つまり(仮)としてまとめてみたものです。

 まず、私が気になるのは、現代の子どもの学びが、学校での勉強(学歴)に偏重している点です。できるだけ学力の高い学校に進学し、有力な会社で働くために、とにかく勉強をがんばる。そして、経済的に豊かになれば、幸せな生活が送れるという構図ですネ。(もちろん、経済的に豊かな生活が送れるに越したことはありません) この構図以外で、明確な目的を持って勉強している子どもも中にはいるかもしれませんが、おそらく少数ではないでしょうか。多くの子どもが、苦行のように勉強をして大人に至っているように感じます。私は、幸いにして、とある身近に起きた出来事によって、高校から大学に進む際にはそれなりの目的を持って学ぶことはできました。ただ、この時期に、人間性を磨くための学びがどれ程できていたかは疑問です。

 学校での勉強と、社会のルールや生きる術を学ぶ、人としての学びとを分けて捉えることが、今一度必要なのではないでしょうか。そして、進学や仕事,経済的に裕福な生活というのは、目的ではなく目標や手段であるということも.. (目的と目標,手段とは別物であるため、この辺りを理解しておくことも重要) 【関連記事結果にこだわる? それとも、プロセス(過程)にこだわる?
 資本主義の枠組みの中では、自分の生産性,労働力を高めて自分という商品価値を上げることは、収入と比例する部分でもあるため、確かにある意味大事なことではあります。しかし、資本主義の行き詰まりも指摘される中、私たちにとっての学びとは、ただ単に労働力としての価値を高めるためだけにあるのでしょうか。病気や障がいなど、様々な事情により生産性を高めることが困難な人は、価値が低いということなのでしょうか。勉強や仕事が優秀で生産性が高くても、品格や社会性,人間関係を築く能力を欠くなどして、生きづらさを抱えている人もいるのではないでしょうか。
 学びとは、本来、もっと広くて、深いもののはずです。人としての成長や自分の魅力を磨くという部分に、私たちはもっと焦点を当てるべきだと思います。



 何のために学ぶのか

 私たちは、何のために学ぶのでしょうか。
答えは、シンプルです。
 “生きるために生き方を学ぶ必要があるからです。当たり前と言えば当たり前です。[汗]

 “学ぶ”という言葉の語源に、答えがあります。
“学ぶ”は、古語の“まねぶ”が変化した言葉です。 “まねぶ”は “真似”(名詞)に動詞化する接尾語“ぶ”が付いたもので“真似る模倣する)”という意味合いを含んでいます。赤ちゃんの時からの学びが、学びの原点です。自然に備わっている能力ですが、赤ちゃんの時から、生きるための模倣が始まります。まずは、親などの行動を真似て、生きるために必要な、顔の動かし方(表情の作り方),言葉,歩き方,ご飯の食べ方などの身の回りの動作を覚えていくのです。【関連記事赤ちゃんのように生きよう

 
 あなたは、マズローの欲求5段階説というものをご存知でしょうか。


 これは、人間の欲求を5つの階層に分類した心理学理論で、心理学者アブラハム.ハロルド.マズローが提唱したものです。(対人援助職の方には馴染みのある図) ピラミッドの最下層である低次の欲求が満たされると、より高次の欲求を求めるようになるというもので、人間を理解する上で参考になります。そして、学びとも関連付けて整理できると考えています。
 1段階目の生理的欲求は、人間が生命を維持するために必要不可欠な欲求です。これらの欲求が満たされないと生命の危険にさらされることになるため、最優先で満たす必要があります。具体的には、食、睡眠、排泄、性などの欲です。
 2段階目の安全の欲求は、身体的・精神的な安全や安定を求める欲求です。具体的には、健康の維持,清潔保持、住まいの確保、経済的安定、事故,暴力,犯罪,戦争などからの回避、減災などです。
 以上の2つは、人間が安定的に生存するためにまず不可欠なモノ〈衣食住〉で、これらを確保する力(行動)が必要です。幼児期に身につける、食事や移動などの日常生活動作(ADL)は、大人の支援によって無意識のうちに身につくため、学んだという実感はないかもしれません。子どもの時に習得する、料理の作り方、物の買い方(お金の使い方)、自転車の乗り方、風邪の直し方などの手段的日常動作(IADL)は、学びを実感しやすいと思います。大人になると、健康管理、生活費や住まいの確保、身の危険の回避などを主体的に行なう必要があります。戦争や紛争、被災、犯罪被害、DV、生活困窮などの状況下で暮らしていると、乗り越える生活課題も特有となり、学びの内容も変わります。重篤な病気や心身の障がいなどがある場合も同じと言えます。
 3段階目の社会的欲求は、他者との関係性,社会での役割に関する欲求です。具体的には、コミュニケーションを通じて、家族や友人などから愛されること、集団などへの所属感があることなどです。
 4段階目の承認欲求は、他者から認められ、尊重されたい、自身が価値のある人間だと認められたいという欲求です。
 マズローは、晩年に「自己実現欲求の前段階に位置する欲求」として、認知欲求というものも提唱しています。この欲求は、知りたい,理解したいという知的好奇心に基づく欲求で、新しい知識の習得や複雑な問題の解決、未知なるものへの探求などが含まれます。私たち誰しもが多かれ少なけれ持っているものでしょう。
 5段階目の自己実現欲求は、自分の才能や可能性を最大限に発揮し、理想の自分に近づきたいという欲求です。具体的には、成長や創造、自律、自己受容などが含まれます。
 3~5段階は、社会性を保ち、自分のこころを満たすために必要なモノです。人は、社会性のある動物です。社会での役割を持つ、他者を受入れて他者からも受入れられる、相手と適度な距離を取る、相手を尊重して協働する、自信を持って生きる、しなやかなこころを持つ、自分の個性を育てる、自分らしく生きる.. この辺りの創意工夫ができるかどうかが、人生の質と深く関係しているため、学ぶことは山程ありそうです。
 以上の5つの欲求を満たすためには必要な物を確保すること生活術(問題解決力や創造力)を身につけることが求められます物や術を手にすることで楽しみながら生きること自信を持って力強く生きることこころ安らかに(疲弊せずに)生きることができます。特に、世の中には人を貶める悪い人間もいますので身を守ることも必要ですネ。
 また、“誰のために学ぶのかということも重要な視点です。
私自身(I)のために学ぶのか、相手(YOU)のために学ぶのか、世の中(WE)のために学ぶのか。他者のためにもがんばるということが、自分の力をものすごく発揮させることは、誰もが体感済みだと思います。
 マズローは、晩年、自己超越欲求という6段階目を提唱しました。これは、自分自身の利益だけでなく、他者の幸福やコミュニティの発展に貢献したいという利他的な欲求です。具体的には、他者の利益のための行動、社会の問題解決や発展への貢献、自然環境との調和などがあります。子どもの頃や若い頃は、自身のために学ぶことが多いでしょうが、歳を重ねるにつれ、自分のためだけではなく、他者や社会のためにも学ぶという生き方をしたいものです。相手を幸せにする、社会を明るくする、後世に知恵を継承するなど.. より充実した人生を送るためには、この辺りの学びも欲しいところです。
 そして、他者から学ぶだけではなく、他者に学びを提供する(共に育つ,後世の人を育てる)部分も増えていくというのが理想の形だと思います。自分の持つ知恵や技術を他者や社会に還元していく… 【関連記事自分を幸せにするは三流、まわりも幸せにするは二流、後世も幸せにするは一流
 世の中の役に立っているかどうかは分かりませんが[汗].. ちなみに、私は、自身の学びの到達点を、このようにブログとして発信することにしています。

 学びは生きるために必要不可欠。 
 

 学ぶ理由のなぜを掘り深めていくと最終的にはどのように生きたいのか” “何のために生きるのかにたどり着きます

(作成ツール:Simple Mind Lite)


 “どのように生きたいのか” “何のために生きるのか”という人生のテーマは、人それぞれ置かれている状況が違うため、人それぞれで違います。また、テーマは、誰かが与えてくれるものではなく、自身で探し求めるものでもあります。(他者や社会は、ヒントは与えてくれます)
 私たちは“生きるために学ぶ”のですが、学ぶ具体的な理由は人生のテーマと同じように人それぞれで違い大人になる過程や大人になってからも自身で探し続けるものだと考えています。


 最近、私は、学べば学ぶほど自分の無知さというもの実感します。自分の知っていることは、ものすごく限られており、自分でできることに至っては、もっと限られていると。
 ギリシャの哲学者ソクラテスが提唱した『無知の知(私は、私がそれを知らないことを知っている)』という概念は、ご存知の方が多いと思います。
 この“知らない”にもレベルがあることをご存知でしょうか。

 無知には5段階あるという(The Five Orders of Ignorance)というものがあります。


【無知の5段階】

 ■第0段階の無知:無知がない状態(完全に知っている)

 ■第1段階の無知:知識が欠如している状態(知らないけれど、知らないことが何かを知っている)

 ■第2段階の無知:認識が欠如している状態(気づきを得る方法は知っているが、知らないことが何かを知らない)

 ■第3段階の無知:プロセスが欠如している状態(無知という自覚はあるが、気づきを得るためにどうすればよいか〈方法〉を知らない)

 ■第4段階の無知:完全なる無知の状態(自分が無知であるということすら知らない)

 第1~3の段階が「無知の知」となり、第4段階が「無知の無知」となります。ちなみに、第0段階は「知の知(自分が知っているということを知っている)」というものとも近いと言えます。また、自分が知っているという事実を自分が知らないという「知の無知」というものもあります。

 あなたは、どの段階にあることが多いでしょうか。


いつまでも無知でいたければ極めて効果のある方法がある自分の取るに足らぬ意見と知識に満足してればいいエルバート.グリーン.ハバード(作家,芸術家,哲学者)





学び始めるためのコツ

 学び始めるためのポイントは、“こころが動く” “気づきを得るです。

 では、どうすれば、こころが動き、気づきが得られるのか。

 学び始めるためのきっかけは3つ
観察すること(5感を使う、見聞する)
興味,関心を持つこと(好奇心のアンテナを張る)
体験すること(一度やってみる)
そして、
感じる力を開いておくこと

 観察は、ジョン.ボイド氏が考案した意思決定と行動に関する理論である『OODA(ウーダ)ループ』でも重視されています。最初のO(Observe:観察)です。5感を使って、よく観察することで、色々な発見があります。その発見が、次の動きを生みます。
 興味,関心を持つこと(好奇心)は、赤ちゃんの時から備わっている才能です。どんな些細なことにでも、気持ちを向けることで動機が生まれ、自分の世界は拡がります。
 体験とは、一度、自分でやってみることです。「百見は一行に如かず」という言葉もあります。観察だけよりも様々なモノが得られるでしょう。

 これら3つは全てが連動しているため入口としてはどれからでも良いと考えています。大事なことはとにかく動いてみることです。体制が万全に整っていなくても.. 【関連記事いつも何かの1年生】【関連記事暇(ひま)はナイ】【関連記事時間の価値 ~ 人生、500年さしあげます!?】 全ては行動を起こすことからしか始まりません。感じることも、考えることも、やる気も行動することから生まれます。
 次に、そこで感じたことが重要です。
感銘を受けたのか、共感できたのか、嫌悪感を抱いたのか。嬉しかったのか、悲しかったのか。希望が湧いたのか、閉塞感を抱いたのか。納得できたのか、疑問を感じたのか。何が自分にとって参考になったのかというのが最初の学びです。そこから、模倣や思考、新たな情報収集(観察,聞く,調べる)などへとつながっていき、学びが深まっていきます。
 自分のものの見方や考え方を転換,修正しないといけないことも多々あるでしょう。時には変化をし、時には変化をしないことも必要です。
 得た情報や教わったことを鵜呑みにして、覚え込んでいくだけでは“問い”は生まれません。問いのないところには新たな気づきはなく、学びが深まるチャンスも逃します。学びや思考を深めるカギは、「今の結論を得るまでにどれだけの問いを重ねたかだと考えます。問いを立て、考え、調べ、真似をし、話し合いもし、違うことも試してみる.. その試行錯誤の繰り返しの中で生まれる感動と気づきの厚みこそが学びの深さであると考えてもよいのではないでしょうか。 

勉強するから何をしたいか分かる勉強しないから何をしたいか分からない
北野 武(タレント,映画脚本家.監督)





学びの深さどうせなら何かは極めたい

 知っていることと、できることとは、また別のものです。私も、知ってはいるものの、できないことは山ほどあります。

 私が考える学びの深さは、5段階。


【学びの深さ5段階】 ※『学習の5段階レベル』というものをa-NEN流にアレンジ。

 ●第1段階:聞いたことがある程度(理解できていないので説明ができない。関西地域で言うところの「知らんけど..」というものです[笑])

 ●第2段階:理解しているができない(意味合いや手順、ポイント,理由などが説明できる。ただし、理屈では分かっているができない)

 ●第3段階:考えるとできる(できるので、他人にやって見せることができる。ただし、意識をして、集中しないとできない。まだまだ練習が必要な状態)

 ●第4段階:無意識でできる(熟練しており、無意識でできる)

 ●第5段階:教えることができる(意図的に教え、人を育てることができる)


 第1段階は、説明ができないので、知っているとは言えない状態です。ただ、聞いたこともないよりは、興味関心が向いているため、一歩は前進している状態と言えます。
 第2段階は、知っているができない状態です。理解はできているので、今後できるようになる可能性があります。一度限りの人生です。できるようになるかどうかはさておきやってみたいことについてはやってみるべきです学びで得た知識は、知識に留めるだけではなく行動に移すことが大事です。私もがんばります。[汗]

活用なき学問は無学に等しい福澤諭吉(思想家,教育家)


 第3段階と第4段階は、できる状態です。できるようになるための近道は精通している人や優れた先人の行いを参考にすること(模倣も含めて)です。信頼のおける人に相談を求めることも有効だと思います。自分でできると他人にやって見せることができます。ただし、見せることだけで教える職人肌タイプからは、伝授が難しい側面もあります。感じることも大事ですが、奥深さや面白さ、微妙な感覚なども言葉として伝えられるに越したことはないと言えます。
 第5段階は、人を育てる訳ですから、かなりの学びが必要です。伝わる教え方の技術,コミュニケーション能力というものが必要です。教える者は、理解さえできていれば、自身はできなくても教えることはできます。ただし、やって見せて、説明する方が説得力は増します。 “教えることが一番の学びとなる”と言われます。教えることができるのであれば惜しまずにできるだけ他者に教えるようにしましょう

人は教えることによってもっともよく学ぶ
ルキウス.アンナエウス.セネカ(政治家,哲学者,詩人)


 多くの事柄において、第4~第5段階にする必要はありませんが、自分の得意分野については、何か極めていきたいものです。



私ひとりだけでは何も学べない

 少し、想像してみましょう。

 私ひとりしかいない世界で、学べるでしょうか

 
 そうなんです。ひとりだと、出来事自体も何も起きないため、そもそも何も学べないのです。他者の存在が必要だという意味でも他者はかけがえのないありがたい存在と言えます。
 そして、 “自分が何者であるかも他者を通じてしか学べないということです。相手は、私の言動を写し出す鏡です。

 中でも、自己理解を深めるためには他者が気付いていることを自分に伝えてもらうことがとても有効です。『ジョハリの窓』という心理学的フレームワークをご存知な方もおられるでしょう。これは、心理学者ジョセフ.ルフト氏とハリントン.インガム氏が発表したもので、客観的な自分を知ることで、自己理解(自己覚知)と他者理解を深めることができるものです。自他との関係性が視覚的に認識でき、円滑な他者とのコミュニケーションへと導きます。

 図にあるように、自分が知っている、自分が知らない、他人が知っている、他人が知らないという4つの軸で構成されているマトリクス表です。
 ①開放の窓とは、自分の自己認識と、他者から見た印象が一致している状態です。ここが広がると、周囲との認識のズレが少なくなり、誤解が生まれにくくなります。その結果、相手との信頼関係が築きやすくなり、やり取りもスムーズになるとされています。
 ②盲点の窓とは、自分では気づいていないものの、他人には見えている自分の一面の部分です。ここを小さくすることで、自分が成長します。そのためには、相手からのフィードバック還元が必要でその相手からの情報や助言,指摘を前向きに受け止めることが大事です。確かに、他者からの情報やアイデアを取り入れることで、良くなることが多々ありますよネ。自分の知識や信念も大事ですが、時には修正していく柔軟性を持ちたいものです。[汗] 
 そして、自分では認識しているものの、他人には伝えていない内面的な情報や感情の領域である③秘密の窓を自ら開示することで、相手との距離が近くなったり、信頼関係が深まったりすることができます。
 これらは、コミュニケーションを高めるだけでなく、私の学び、相手の学びを深めることにもつながります。シナジー効果(相乗効果)を生むため、お互いにメリットしかありません。相手との相互的成長関係をどれだけ保持できるかも大事なのだと言えます。
 ④未開の窓は、誰も気づいていない自分の能力や精神性の部分であり、ワクワクするゾーンです。ちょっとした仕掛け(ワーク)が必要でしょうが、開かれていくと面白いですネ。

 私という存在は他者の力を借りることで見えてくるものでもあるのです。
 “まねぶ”ことも含め、学びのほとんどは他者から教わるものということになるのではないでしょうか。
 とにかく私を取りまく周りの方々に感謝感謝ということです



 学びとは、生きるために必要なものであり、本来、自ら望んでやりたくなるような楽しいもののはずです。
 私の人生、世の中を面白くするために..

 さあ、世の中とは何であるかを探求してみよう。
    自分が何者であるかを探してみよう。
    人生を楽しみ尽くすために、死ぬまで学ぼう。


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