★投稿修正★ 2026年8月30日 by a-NEN
何だ、この変な題名..[汗]
今回は、親と子どもとの距離感についてです。子どもとの関わり方は、今一度、熟考する価値があります。
※ここでいう子どもとは、乳幼児から成人まで含みます。成人も含む? そうです、歳がいくつになっても、親からすればいつまで経っても子どもは子どもであるからです。また、以下、親と表現しますが、実の親だけではなく、子どもの手本となるべき、血縁なきまわりの大人も含めます。子どもは次代を担う宝であり、子育ては、親だけではなく、社会全体でするものだと考えています。
私は、『親の過干渉,過保護が、子どもの未来を蝕む』と考えています。「親の甘いは子に毒薬」という諺もあるように、これは、“甘やかし”とも関連します。※“甘やかし”については、後で少し触れます。
そして、子どもが何歳であれ、『親と子は共育の関係』 つまり、ともに学びながら成長するものだと考えています。親は教えるばかりではなく、子どもを通じて学ぶ.. 【関連記事●いつも何かの1年生】
さて、私たち親が、子どもに対して出すものにはどのようなものがあるでしょうか。
■手を出す(世話をする。割り込んで動く。暴力を振るう)
■口を出す(割り込んで意見する)
■ダメを出す(いわゆるダメ出し)
■舌を出す(バカにしたり、笑ったりする)
■金を出す(資金援助)
■顔を出す(この行為は、私の考えでは単に顔を合わすだけではなく向き合うことを指します)
■情報を出す(必要な情報を教える)
■知恵を出す(工夫の仕方を教える)
■課題を出す(具体的な宿題を出す。問いを投げかける)
他にもあるかもしれませんネ。
あなたは、子どもと程良い距離を保つために、何を出し、何を出さずにいますか。
(子どもの年齢によって異なるとは思いますが.. 少し考えてみて下さい)
さて、私の考えをお伝えする前に..
まず、未成年の子どもの権利、未成年の子どもと親との望ましい関係性について少し触れたいと思います。
根本的に理解すべきは、子どもは、親の所有物ではないということです。子どもも、大人と同じ人権があり、ひとりの人として尊重されます。これは当たり前のことですが、ただ、理屈で分かっていることと生活上で実践できることは別物です。
残念ながら、連日、子どもが犠牲になる痛ましい事件が起こっています。こども家庭庁の第19次報告によると、令和3年度に、虐待により命を落とした子どもが年間70名強。5日毎に1人が亡くなっている計算です。【児童虐待防止推進特設サイト参照】
子どもの命を奪う権利は、誰にもありません。
把握されていないケースを含めるともっと多い可能性があります。また、死亡までには至らない重体,重傷のケースもあるでしょう。児童虐待は、社会全体で取り組むべき課題です。
2023年(令和5年)4月から日本で施行されている「子ども基本法」も参考にしてみて下さい。【こども家庭庁ホームページ】
子どもの権利を考える上で参考になるのは、世界で批准されている「子どもの権利条約(正式名称:児童の権利に関する条約)」の内容です。柱は4本。

生存と成長が保障されること、差別されないことと同時に、“子どもの意見の尊重” “子どもの最善の利益”という項目があります。
意見の尊重と最善の利益の追求は、「言うは易く行うは難し」です。なぜなら、親の都合ではなく、子どもの立場に軸足を置いて、未発達な子どもに対して道徳的なことを教えないといけないからです。親は、子どもの利益よりも、親自身の立場を守ることを優先することがあります。また、親は、経験上、自分なりの最適解を持っており、子どもが課題に直面した際についつい押し付けがましくなってしまうことがあります。子どもの利益を考えて行動することこそが、親の本当の優しさと言えるのではないでしょうか。
意見の尊重と最善の利益の追求は、子どもとの距離感とも関係します。そして、子どもへの“甘やかし”と“甘えさせ”とも関係します。
“甘やかし”と“甘えさせ”は全くの別物です。甘やかしは不要で、甘えさせは必要。
甘やかしは、親の都合や考えに合わさせるという条件付きで子どもの要求を受け入れることです。怒ったり、脅したり、子どものご機嫌を取ったり(なだめたり、すかしたり)の交換条件で取引するのは、典型的な甘やかしです。これは、子どもに不快感を与えます。
一方の甘えさせは、子どもの要求を無条件で受け入れることです。これは、子どもに心地よさを与えます。
甘やかすと、他責傾向の強い、甘ったれた人間に。
甘えさせると、自分のこころを律した(自律した)人間に。
“甘えさせ”と“甘やかし”については、とても参考になる本があります。山崎雅保 著「子どもって、どこまで甘えさせればいいの?」 二見レインボー文庫 2006年
子どもと適切に距離を取る際に、重要だと思うことは..
①子どもの思いや考えを尊重すること。
②子どもの成長を妨げないこと。(生きる力をつける手助けをすること)
子どもには、自分を信じる力(自信)、自分を愛することができる力を養ってもらう必要があります。そのためには、まわりから大切にされる経験が必要です。褒められたり、尊重されたり(認められたり)..
まわりから大切にされる経験とは..
●寄り添ってもらう経験。→他人に寄り添う経験へ。
●主張や思いを受け止めてもらう経験。→他人の主張や思いを受け止める経験へ。
●慰めてもらう経験。→他人を慰める経験へ。
●気遣いをしてもらう経験。→他人を気遣う経験へ。
●不安を和らげてもらう経験。他人の不安を和らげる経験へ。
自分が尊重してもらえると、他人も尊重できる。そして、他人への優しさや思いやりも育ちます。
尊重の土台は、信じてあげることです。
信じてあげるということは、意外と難しいことです。信じてあげるとは、何をしても、どんな結果であっても受入れること。最終的には許すという、懐の深さが必要です。そして、この包みこまれた安心感が、子どもの自己肯定感を高めます。自己肯定感が育めると、どんな苦難にも太刀打ちできるのです。
子どもの次なる言動を、時間をかけて待つということも信用の証です。私は、高校を出てから大学に入るまで1年間の回り道をしました。この間、私の親は、私の勉強に関して何も言わずに見守ってくれました。何も言われないことで、親からの信用を感じたこと、責任感が芽生えたことを今でも憶えています。この苦難の1年間で得られたことは数多くあり、私の財産となっています。支えていただいた親には感謝しかありません。

子どもが成長するために必要な経験の機会を奪わないことも重要です。
子どもには、生きる力を身につけてもらうことが必要であり、年齢に応じて獲得しておくべき能力というものがあります。育てる力は、考える力、コミュニケーションを取る力、問題を解決する(工夫する)力、責任を取る力、苦難を適当にやり過ごす力などです。
どの力も、子どもの頃からの経験を通して得られるものです。子ども頃から、自分で考える習慣がないと考える力は育ちません。自分で悩みながら試行錯誤しないと、コミュニケーションを取る力も問題を解決する力も育ちません。主体性に取り組まないと責任を取る力も育ちませんし、自分の力で物事を達成しないと自信も育ちません。しんどい経験がないと、適当にやり過ごす力も育ちません。
では、子どもに対して、何を出し、何を出さずにいるのか。私のまとめです。
手を出す
当然ですが、どんな年齢の子どもに対しても、どんな状況であっても、暴力を振るうことは絶対にダメです。小さい子どもには、しつけのためであれば、愛情があれば、良いと考えるのは間違いです。子どもには傷が残りますし、傷つけずに導く方法はいくらでもあります。また、手を出すというのは、性的にちょっかいを出すという意味もありますが、これも暴力であり、犯罪です。
まだ状況判断ができない乳幼児には、当然、身の回りの世話が必要ですし、子どもが危ない状況にあれば、割り込んで動くことも必要です。
ただ、状況判断ができるくらいの未成年の子どもには、割り込んで動くことは避けましょう。特に、親が先回りをして、子どもの課題を代わりに解決することは絶対に避けるべきです。
●失敗する経験,辛い思いをする経験を奪うことになる。
→辛い状況を乗り越える力(自分と折り合う力)が育ちません。また、乗り越えた後の達成感も味わえません。
●他人との面倒事の経験を奪うことになる。
→例えば、子どものケンカに親が出てしまうと、怒る力、自分の気持を上手く伝える力、相手の気持ちを考える力、謝る力、仲直りをする力(相手に歩み寄り折り合う力)などが育ちません。傷つけられる経験、傷つける経験から多くを学ぶのです。敢えて手を出すとすれば、必要な時だけ、子どもと一緒に行って、一緒に謝りに行くことくらいでしょうか。また、迷惑をかけ合う経験からも学びがあります。
●怒られる(注意される)経験を奪うことになる。
→自分を省みる力も自分で責任を取る力も育ちません。
親が手を出すと、いつまで経っても、親の力に頼る“甘ったれた人間”になってしまいます。主体性,解決能力,自信も育たず、じりつ(自律と自立)ができません。子どもが何歳になっても、親に問題解決をしてもらわないといけない状態は悲劇です。親亡き後に、子どもがどのようになるのかは簡単に想像できます。
子どもが求めてもいないのに、世話をやくことは避けましょう。手は出すのではなく、必要時に差し伸べる。子どもが自分で考え、自分で動くことを手助けしましょう。
口を出す
幼い子どもには丁寧な説明が必要ですが、状況判断ができるくらいの未成年の子どもには、口を出すことは極力避けた方が良いと考えます。
子どもが何を考え、どういう気持ちで行動したのか。そして、次にどうしようとするのか。子どもが生きる力を伸ばすためには、自分で考え、時には悩み、自分で乗り越えていくしかありません。その経験を優しく見守りましょう。繰り返しになりますが、子どもに降りかかる問題を親が主導で解決することは、本当の意味での助けになりません。
子どもが助けを求めてきた時、子どもが辛そうな時には、丁寧に受け止めましょう。
子どもがいけないことした場合は叱り、至らないことをした場合は諭すことが必要です。ただ、子どもへの暴言は虐待になります。子どもとの信頼関係も損ないますので、感情に任せて、衝動的に傷つくようなことを言ってしまうのは避けましょう。一呼吸置いて、言って良いことと悪いことを考えて…
親の経験を分かりやすく解説するようなイメージが良いのではないかと考えます。また、人の気持ちに着目して説明すると伝わりやすくなると思います。子ども自身はどう感じたのかも確認し、親の私は、こう感じたという、I(あい)メッセージで伝えましょう。主語を子どもにして諭すと、親の決めつけになります。
子どもが他人の悪口を言った際にも、同調はせず、子どもの気持ちと向き合うことが大事だと思います。
子どものことを思って、ダメを出すことも時には必要です。この時に一番大事なことは、子どもが聞く耳を持てそうなタイミングかどうか、子どもが出来事を自分事として捉え、自分で考えられそうかどうかです。だから、出し方には工夫が必要です。私は、まず子どもの実感を尋ねることにしています。そして、出す際には、先に良かった部分を褒めてから、付け足しとしてダメを出すことにしています。割合は、褒めが8割、ダメが2割のイメージです。
ダメ出しの頻度にも注意です。やる気や自信との兼ね合いもあるので、ダメ出しばかりは禁物だと考えます。気になる度に出すのではなく、厳選して、必要最低限に留める方が良いのではないでしょうか。子どもは感想で自分の実感を確認し、小言を言われない方が、子ども自身で考えるようになるのでないかと思っています。
子どもは子どもなりに懸命に生きていますので、舌を出すことは子どもに不愉快さを与えます。笑ったり、小馬鹿にしたりするのも、避けましょう。和みや冗談で済めば良いですが、子どもの性格によっては冗談で済まされないこともあると思われます。
金を出す
養育が必要な年齢の子どもには、お金は当然出すことになります。
子どもに与えた小遣いの使い方に、口を出すことはやめましょう。(上の項目の口を出すに同じ。) お金の使い方や大切さは、子どもが身を持って学びます。
経済的に自立した子どもには、どうでしょう。お金を出すことは、子どもへの優しさでしょうか、はたまた、親としての見栄でしょうか。時々、物をあげたり、奢ったりすることは良いと思いますが、基本的には、お金は出さない方が良いと思います。癖になる状態(当てにされること)は、避けるべきです。頼り癖がつくと、子どもは自立できません。子どもを親と対等な人間として扱うという意味でも、財布ははっきりと別にしたいものです。
顔を出す
子どもが何歳であれ、気持ちや考えにしっかりと向き合うことが大事です。具体的には、子どものことを視る、子どもの話しを聴く。視るとは、意識をして注意深く観察するということ。聴くとは、こころの動きも含めて注意深く耳を傾けることです。この2つを実践することは、結構難しいと思います。子どもに愛情を注ぐというのは、この2つのことを丁寧に行なうことなのかもしれません。
子どものこころを温めてあげるのも親の大事な役割だと考えます。些細なことでも褒める。褒められることで、自信が持て、安心感や意欲が生まれます。褒められて嫌がる子どもはいません。
子どもの存在をしっかりと肯定してあげることで、親は、子どものこころの拠り所(基地)になります。子どもが安心できる、ホッとできる港のような存在でありたいものです。
情報を出す
子どもにとって役立ちそうな情報を積極的に提供することは、自然な成り行きです。まず、子どもが興味を示すかどうかを観察し、ここぞという時に出しましょう。興味がないにも関わらず、しつこく情報を出すことは得策ではないでしょう。子どもが情報を求めて来た時、困っている時には、提供に最善を尽くします。ただし、押し付けないように注意。あくまでも、参考です。情報をどう取り扱うかも含め、子どもの判断に任せます。情報提供が成長のきっかけになれば最高です。
知恵を出す
上の情報を出すと同じです。子どもが困っている時、悩んでいる時には声をかけましょう。そして、子どもの気持ちに寄り添い、一緒に考える形で知恵を提供しましょう。親子でも価値観が全く同じということはありません。価値観を押し付けず、親の経験談を交えて、知恵を提供できれば良いのではないでしょうか。
課題を出す
何に手を付ければよいのか分からない子どもに、課題を出すことは、時には必要かもしれません。ただ、これもきっかけのものとし、押し付けは避けます。出す課題は、具体的に取り組むメニューを提示するのではなく、“考えさせる問い”を投げかける方が、私は良いと考えます。手がかりを提示する形を取ることが、子どもの考える力、工夫する力を伸ばすことに繋がると考えています。
指導し過ぎることも甘やかしです。
子どもが生きる上でモデルにするのは親です。子どもは、親の姿勢や所作を見て育ちます。
親として、自分から、子どもにさらけ出した方が良いものもあるのではないでしょうか。
●遊び心(楽しむ姿)を出す。→人生の楽しさを伝え、好奇心や挑戦する心を育てます。
●ありのままの姿を出す。→親も悩む、イライラもする、分からないこともある、失敗もする。人生はそれでいいのだという安心感を育てます。
●誠意、真心を出す。→自分の良心に基づいて素直に生きる、他人のために汗を流す優しさを育てます。
●謙虚さを出す。→相手への敬意、素直に謝るこころを育てます。
以上で触れてきた距離感は、何も子どもに限ったことではなく、全年齢の相手に対しても当てはまるものです。相手と一定の距離を取ることは、尊重。近づき過ぎないことは、相手の自由を認めること。

「かわいい子には旅をさせよ」
「獅子の子落とし」
子どもが、まわりの力も借りながら、自分で考え、知恵を絞り、難局を乗り越えていくことが大事です。自分が幼かった子どもの頃を思い返してみましょう。何も分からず、未熟ながらに、色々な経験を積んで今に至ったはず。また、その道中は、自分なりに懸命で、自分なりの思いや意志もあったはずです。
生きる力を身につけることは、歩くことに似ていると思っています。歩くという動作は、体のバランスを前に崩すというリスクを背負わないと出来ません。このバランス感覚は自分で体得するしかありません。
●コケるという経験をしないと痛みが理解できません。
●怪我もしないと、直し方や次にコケないように工夫する力も身につきません。
●道を間違えないと、立ち止まったり、引き返したり、別の道を探したりする力がつきません。
●歩き疲れないと、無理をせずに少し休むという判断力も養われません。
●自分が心地よく歩ける歩幅やスピードを理解し、他人の歩幅やスピードは自分のものと比べても意味がないことも知る必要もあります。
この、挑戦→経験→修正というサイクルを回さないと、自分の足で歩くということができないのです。
親の言動が、本当に子どものためになっているのか。一緒に、再考しましょう。
子どもの人生は、子どものモノ。親ができることには限りがあります。
子どもには、自分らしく、自分の足で歩いてほしい。
子どもに出すのは、顔だけで十分。
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